【復興の道標・作業員-7】「地域と共生」高い壁 住民との接点が課題

「これまで延べ4000人以上の作業員が、住民のいない避難区域で働いた。こんな現場は他にはない」。全域が避難区域になっている富岡町の南部の除染を担うJV(共同企業体)を構成する鹿島建設(東京)。工事事務所の副所長を務める郡司広史(52)は、鹿島が手掛けてきたさまざまな現場と比較した除染作業の特殊性を強調した。
約960人(昨年11月末現在)の作業員が大詰めの作業に取り組んでいる。県外からの作業員は多く、避難者の中には、1000人規模の見知らぬ人たちが古里に入っている現状に戸惑いを感じる人もいる。
廃炉作業にも関わる同社。通常の工事ならミニコミ誌を配布するなど地域社会に作業への理解を求めるが、まだ地域に住民はいない。2014(平成26)年に町内に除染作業に関する情報発信施設「とみおか『除染の駅』ほっとステーション」を設けた。
「作業員はみんな、ブルーの腕章をしています」。担当の女性が、一時帰宅の際に立ち寄った住民に説明する。女性は「除染について詳しく知ってもらえれば、不安もなくなるだろうと思っている」と穏やかに話す。
富岡町は17年開始を帰還目標に掲げる。広野町や昨年9月に避難指示が解除された楢葉町と同様に、帰還後の住民と廃炉や除染に携わる作業員との「共生」をどう模索するかは今後の大きな課題だ。人口減少が全国的な課題となる中、大勢の作業員の存在は発展への好機にもなり得る。
「作業員として働く側にも、地域の一員としての自覚が必要になってくる」。元東京電力社員で、廃炉作業をめぐる情報発信などに取り組んでいるAFW代表の吉川彰浩(35)=いわき市=は、共生に向けて提言する。原発事故前、行事に積極的に参加するなど東電社員として地域への協力を惜しまなかった。
課題も口にする。「今は当時と違って短期雇用の作業員が多く、地域への(愛着などの)思いは生じにくい。除染を担う会社にとっては、住民が避難していて接点が持ちにくいことも大きな壁だろう」
「今はまだ心細い。もっと帰る人が増えないと」。楢葉町からいわき市に避難する女性(76)は町の自宅に帰ることを切望するが、近くにある作業員宿舎が気になっている。
「その人たちがいないと地元は復興できない。心配などとばかりは言えないけれど」。不安と感謝が入り交じる気持ちを抱きながら、住まなくなって5年になるわが家に思いをはせた。(文中敬称略)
(2016年1月13日付掲載)
※「作業員」編は今回でおわります。近日中に番外編を掲載する予定です。
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