【復興の道標・ゆがみの構図-1】被災地、無意識に差別 生の声聞き実情知る

「つらくて、本が開けません」。絵本作家松本春野(31)=東京都=は、自作に寄せられた県民からの声にはっとした。2012(平成24)年に出版された「ふくしまからきた子」(岩崎書店)への感想だ。「何がいけなかったの?」。その時は分からなかった。
松本は、子どもの水彩画で知られる絵本画家いわさきちひろ(本名松本知弘(ちひろ)、1918~74年)の孫だ。東京電力福島第1原発事故後、放射線の不安で本県の子どもが外遊びを制限されていると知った。「絵本作家としてできることをしたい」。その夏から県内で取材を始めた。
「ふくしまからきた子」は、本県から広島市に「母子避難」した「まや」が「ことしのなつはプールにもはいれなかった うんどうかいもなくなった」と語る。子どもに向けた「反核」のメッセージも込めた。「本当に福島で暮らして大丈夫なのか」との思いがあった。
作品に対する批判的な声を踏まえ、県内で取材を続けた。学校関係者が線量を測った上で議論を重ね、プールや外遊びの再開にこぎ着けていった経緯を知った。「私が疑問に思うことは全て、現地の人はとっくに疑い、対策を議論していた。そんな当然のことが分からなかったのは『真実を知っているのは自分の方』とのおごりが無意識にあったからかもしれない」
個々の事情を理解せず、福島を被災地として象徴化しようとしていたことに気付いた。
続編に描いた笑顔
「まやちゃん、おかえり」。昨年2月、続編「ふくしまからきた子 そつぎょう」を出版した。まやが避難先から本県に戻り、同級生に迎えられるシーンで物語は終わる。はじけるような笑顔をちりばめた。
昨年3月には、東京で開かれた反原発運動の集会でスピーチに立った。「私たちはもっと、福島に暮らす人々の声から学ぶべきなのではないでしょうか」
原発事故から4年10カ月。「『政府の安全PR』に加担させられている、かわいそうな福島の子どもたち」などと単純化された外部からの視点が、県民を傷付けてきた。
脅迫まがいの事件も起きた。昨年10月、NPO法人ハッピーロードネット(広野町)などが企画し中高生も参加した国道6号の清掃活動。募集を始めた後に「殺人行為だ」「お前は国賊か」など清掃活動の中止を求める電話やメール、ファクスが団体に届き、その数は千件を超えた。活動に反対する人たちは清掃当日、現地にもやってきて、線量計を手に子どもたちの写真を撮っていった。
避難区域や昨年避難指示が解除されたばかりの楢葉町は大人が担当し、中高生は線量が低い広野町の通学路などを清掃したが、寄せられたメッセージは、広野の放射線量の現状すら理解していなかった。「聞く耳を持たない人もいるだろうが、県外の一般の人たちに、私たちの日常の生活を伝えていくことが必要と感じた」。NPO理事長の西本由美子(62)は振り返る。
将来、県外の人から差別的に見られた時、放射線の正しい知識などに基づいて説明できるような教育が県内で始まっていることを、松本は二本松市の主婦から聞いた。
衝撃を受けた。県外の人が無意識に差別に加担する構図が頭に浮かんだ。「原発事故後、私たちがしてきたことの結果がこれなのか」(文中敬称略)
◇ ◇ ◇
原発事故後、本県が実態とかけ離れたイメージで語られるケースがある。注目度が高まる丸5年の節目を前に、県外の人の目に映った「福島」を考える。
(2016年1月31日付掲載)
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