【復興の道標・5年の歴史-5】漁業再興へ品質勝負 産地間競争「これから」

「みんなニコニコ顔だった。漁をできたことがうれしかったんだ」。相馬双葉漁協理事でアサリ漁師の菊地寛(70)=相馬市=は、松川浦で4月、6年ぶりにアサリを水揚げした時の仲間の漁師たちの笑顔を思い出していた。震災の大津波でアサリが流出し、原発事故の影響で漁の自粛を余儀なくされたアサリ漁師にとって、試験操業ながらも漁を再開できた喜びは格別だった。
津波は松川浦と太平洋を隔てた大洲海岸の堤防を破壊、松川浦のアサリの90%以上が姿を消した。しかし、岩場の陰やがれきの間に挟まった一部のアサリが自然繁殖し、個体は少しずつ回復した。漁師たちはがれきの撤去などに共同で取り組んだ。
「松川浦のアサリは昔から100%天然ものだから、すみやすい環境に戻すことだけを考えた」。生計は東京電力の賠償金に頼らざるを得なかったが、菊地は漁場のがれきを片付け、国の補助金で漁船を修繕し、再開の日を待った。
試験操業は週1回で、水揚げされたアサリは地元の消費者に好評だ。ただ、菊地は「風評被害もあるし、試験操業の漁獲量では飯は食えないよ」と不安も口にする。
漁業者の生計の一端を担っていたノリ漁の再開見通しは立たず、賠償金の行方も気掛かり。頭を悩ませるのは大地震による松川浦内の地盤沈下で、漁場の環境が変わったことだ。菊地は「深くなるとアサリが採りにくい。地盤沈下の対策を考えなければ」。
震災から5年が過ぎ、本県漁業に大きな変化があった。今月9日、政府は本県沖で漁獲されたヒラメについて、出荷制限を解除した。震災前に「常磐もの」として高値で取引されたヒラメを扱う漁師にとっては朗報だ。いわき市漁協試験操業委員長の鈴木三則(65)=いわき市=は「試験操業の漁獲量が大幅に増えるのではないか」と喜ぶ。
小型底引き網漁を営む鈴木にとって、ヒラメは主力魚種だったが、出荷停止後は、網にかかっても出荷できず、廃棄する以外の道はなかった。「網の中の2割程度の魚しか水揚げできなかった。週2回の操業なので以前に比べれば漁獲量は少ないと思うが、ヒラメの大きさや新鮮さ、安全性にこだわりたい」。鈴木ら漁師は、ブランド化などで他産地に挑む覚悟でいる。
小型底引き網漁は、本来は水深50メートルほどの海域で操業してきたが、試験操業では放射性物質の影響などを考慮し、水深150メートルの海域での操業を求められた。水深の深い海域は波も高く、沖に到着するまでの燃料費もかかるが、鈴木は「それでも漁がしたい」と思いを語る。「一日も早く本来の漁場で、本来の操業に戻りたい」。鈴木はただそれだけを願う。(文中敬称略)
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