「5年の歴史」編へ識者の意見【番外編 下】玄侑宗久氏・芥川賞作家、福聚寺住職

◆玄侑 宗久氏
風評の中を生きて学ぶ
原発事故で県民は、複雑でややこしい状況に置かれることになった。最も顕著なのは放射線を巡る問題だ。
医療の現場では既に「インフォームド・コンセント(医師の十分な説明と患者の同意)」が一般的になっていた。治療の際に万が一副作用が出た場合の訴訟リスクなどを想定し、最悪のケースを事前に説明することなどが行われているが、原発事故発生直後、放射線についてもこの考え方が使われたのではないか。「最悪のことを言っておけば県民の味方になれる」との発想で放射線の影響について語られた。当時、「東北の野菜と牛肉は食べるな」と話す学者もいた。そうした話が固定化し、風評被害につながったと感じる。
放射線の問題を原発の是非の問題に結びつけて考える困った風潮もあった。放射線量について「たいした量ではない」という話をすると「原発に賛成なんだろう」と言われてしまう。
脱原発運動をしていた人たちには、「どんなに放射線量が少なくても容認できない」という立場の人がいた。やはり、「最悪のことを言っておけばいい」と考える人たち。県民は目の前の山菜について「なぜ放射線量が高いんだろう」と悩んでいたりしていたのに、そうした具体的な悩みに思いを寄せず、外部から「最悪の事態」をステレオタイプに流布していた傾向があったのではないか。
5年たって、改めて放射線について情報発信することが、風評を拭い去るために必要と感じる。放射線影響学や放射線防護学などの専門家はもう一度、長年の学問的蓄積に基づいた正しい知識を語ってほしい。
原発事故に伴う経験は、県内の子どもたちにとって大きな財産になると考えている。私たちはこの5年、風評というものの侮りがたい影響力や、人の心のあやふやさなどを学んだ。
風評被害とは言い換えれば、「自分のことをちゃんと理解してもらえないこと」を意味する。その意味で人は誰でも、風評の中を生きていると言える。福島はそれを突出した形で体験したわけだ。先入観やうわさ程度の知識で人を判断することの危うさを、私たちは学んだ。福島は今、非常にしなやかな心を育むことができる環境にある。
原発事故に伴う県民の経験は、二度と要らない経験ではある。しかし起きてしまった以上、すべて良い経験に変えていきたい。恨みは何も生み出さない。
(2016年6月22日付掲載)
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