浪江の花...地域ぐるみで育つ「希望」 増える参入、産地化順調

 
「福島の花作りが世界に認められるとうれしい」と話す清水さん

 ビニールハウスに入った瞬間、ふわっとした花の香りに包まれた。「マスクがなければもっと香りを楽しめますよ」。ちゃめっ気たっぷりに話すのは、浪江町で花卉(かき)栽培に取り組むNPO法人Jin代表の清水裕香里さん(56)だ。別のハウスでは主力のトルコギキョウが育てられていたが、訪れたのは2月下旬。「先月作付けして芽が出てきた。出荷は6月」と、いとおしそうに成長を見守る。

 清水さんは震災前、浪江町で高齢者や障害者の生活を支援する福祉事業に携わっていた。東京電力福島第1原発事故で避難を余儀なくされたが、生まれ育った古里に戻ろうとする決意は固かった。ようやく日中の立ち入りが許可されたころ、町内での福祉事業はまだ再開できず、かつて支援の一環で行っていた農業に軸足を移すことを思い付く。町の勧めもあり、風評被害や天候に左右されにくい花の栽培の道を選んだ。

 2014(平成26)年から始めた栽培は、今年で9年目を迎えた。「最初は体が慣れなくて大変でしたが、慣れると時間を自由に使えるので、めりはりをつけて自分らしく働けます」と農業を楽しんでいる。町が「日本一の花のまち」を目指して生産者を支援したこともあり、清水さんは県内外の先輩農家を訪ねたり、海外を視察したりして、栽培の腕を上げていった。

 昨年夏の東京五輪では、町で生産されたトルコギキョウなどが「ビクトリーブーケ」(勝利の花束)としてメダリストに贈られ、"浪江町ブランド"が国内外から注目を集めた。農家が連携し、トルコギキョウやストック、カラーなどを年間を通じて栽培する態勢を整えるなど、産地化も順調だ。

 復興の仲間となる新規参入者の受け入れにも積極的で、来春には7軒の花農家が10軒に増える。「頑張っただけ必ず成果が出る。農業に対するマイナスなイメージも払拭(ふっしょく)できたら」と語る姿は、原発事故の被災地で取り組む新たな農業の姿と、トルコギキョウの花言葉「希望」を重ねているかのようだ。

 「過ぎた時間は待ってくれないし、寄り添ってもくれない。進んだ先が明るいか分からないけれど、進むしかない」。清水さんの言葉が印象的だった。大地に根差す農業は、種をまき、手塩にかけて芽吹きを待つ。地域ぐるみで花とともに復興を担う"人財"も育む。浪江では、そんな努力が実を結びつつあると感じた。(報道部・高橋由佳)