かつての面影なく...積み上がる無機質 地権者の重い決断、心に刻む

 
除染廃棄物がベルトコンベヤーで続々と運び込まれる中間貯蔵施設。後方には東京電力福島第1原発の原子炉建屋と処理水がたまり続けるタンク群が見える=2月22日午後、大熊町

 大熊町のJR大野駅周辺では、古里に戻ってくる住民の受け皿となる特定復興再生拠点区域(復興拠点)の整備が進められている。一方、国道6号を越えた東側には、東京電力福島第1原発を囲むように「すぐには帰れない土地」が広がる。除染で出た土壌などを貯蔵する中間貯蔵施設だ。

 中間貯蔵施設の区域面積は約1600ヘクタールで、大熊町と双葉町にまたがっている。2月22日、報道陣を対象にした大熊町側の現場公開に参加した。トラックが列を作り、県内各地から除染土壌を運び込んでくる。敷地内では重機が音を立てて動き、大型土のう袋に詰め込まれた土壌を降ろし、貯蔵場所に搬入していた。

 施設の全体像が分かるような高台に案内してもらった。そこには、土壌貯蔵施設が整備される前の2018年11月に撮影された写真があった。点在する民家や田畑は、草などは伸びているものの震災前に住民の生活が確かにあったことを伝えていた。

 現在目に映るのは、土壌が高さ5メートル、10メートルと積み上げられた無機質な風景で、震災前の面影はまるで感じられない。環境省によると、土壌は今後、高さ15メートルまで積み上げられるという。さらに海側に目を転じると、廃炉作業が進む福島第1原発が見えた。その景色は長く、険しい復興への道のりを見せつけているかのようだった。

 かつて、中間貯蔵施設は地元である大熊町と双葉町の「苦渋の決断」により、建設や土壌の搬入受け入れが決まった。このことをどう思うのか、環境省の担当者に聞いてみた。「地権者には『苦渋』という言葉以上に重い意識で整備への協力を決断いただき、スムーズな搬入ができた。施設は地権者の思いの上に成り立っていることを忘れてはならないと思っています」

 その言葉は、自分にも刺さった。県内の多くの地域で、除染土壌が仮置き場に積み重なっている状況が解消されつつある。本県の環境回復が両町民の故郷への思いと引き換えにあることを、改めて心に刻まなければならないと痛感した。

 政府は、汚染土壌の県外での最終処分を約束しているが、震災から11年を迎えようとする今も、最終処分地に関する具体的な姿は見えない。大熊、双葉の両町は一歩ずつ、地域再生の道を歩んでいる。政府が最終処分の道筋を早期に示すことが、復興の一番の後押しになるのではないだろうか。(本宮支局・佐藤智哉)