飯舘...「第二の実家」 小原さん、営業マンから花卉農家へ転身

 
「第二の実家」と呼ぶ佐藤さん宅をよく訪ねるという小原さん(中央)。佐藤さん(左)、ひろ子さんとの会話が弾む

 阿武隈山系の豊かな自然に恵まれた飯舘村には、のどかな風景が広がり、訪れた人の心を癒やす。今から11年前、村は東京電力福島第1原発事故に伴い全村避難を経験した。現在の人口は事故前の3割にとどまっているが、移住者という新たな力も芽吹いている。2月中旬、首都圏から移り住み、花卉(かき)農家に転身した小原健太さん(43)を訪ねた。

 最近購入したという軽トラックに同乗し、小原家から揺られること5分、ビニールハウスが並ぶ畑に着いた。「知識も経験もないから、不安が99パーセントですよね」。小原さんは、都内の梱包(こんぽう)材メーカーで営業マンとして働いていた。農業資材を扱った縁で農業に興味を持ち、一念発起し2020年5月に妻貴子さん(41)と移り住んだ。トルコギキョウの栽培を目指しており、ハウスの中では育苗用のプール作りの真っ最中だ。昨年の突風によるハウス倒壊という困難を乗り越え、今年が本格栽培1年目となる。

 村内はまだ買い物環境が整っていないため、必要な資材は車で15分ほどの場所にある川俣町のホームセンターか、インターネットを通じて購入している。「便利な時代で良かった」と笑うが、都市部に比べれば自動販売機を探すのも楽ではない。コンビニを併設している「いいたて村の道の駅までい館」には、週に何度も足を運ぶ。

 北海道生まれ、新潟県育ちの小原さんは本県に地縁はなかった。なぜ飯舘を選んだのか。「実は、新しいことを始めるのにライバルが少ない場所を選んだだけ」と打ち明ける。しかし、村民と触れ合う中で、人に恵まれていることを実感した。「選択に間違いはなかったですよ」と胸を張る。

 「第二の実家」と呼べる場所もできた。貴子さんが就職先で出会った佐藤義明さん(71)、ひろ子さん(66)夫妻の家だ。「娘や息子が増えたみたい」と歓迎する佐藤さん方は、ほかの移住者も集う憩いの場になっている。村の歴史から生活、食べ物のことにまで会話は弾み、佐藤家は和やかな笑い声に包まれる。

 村によると、1日現在の村内居住者は1476人。村に残る帰還困難区域の長泥地区では、秋に住民が長期滞在できる準備宿泊が始まる。「自分が移住の成功モデルになって、村に興味を持つ人が増えればいいですよね」と小原さん。夢と期待が詰まったトルコギキョウは夏に花を咲かせる。(若松支社・多勢ひかる)