【現場はいま・本紙記者がゆく】消えてはならない「日常」

 
水揚げされた魚を仕分けし、競りの準備をする漁業者ら=いわき市・沼之内魚市場

 2月下旬の朝、いわき市の沼之内魚市場。太平洋に向かってコの字形に開いた建物で、競りの始まりを告げる鐘の音が響く。ずらりと並ぶ魚介類を取り囲んだ仲買人が一斉に値札を投げ入れ始めた。

 「アナゴが欲しかったんだけれど、あんまり良いのがなさそうだね」「アジが釣れたよ」。漁師と仲買人らの会話が聞こえてくる。ありふれた世間話なのだろう。その「日常」は12年前の「あの日」から時間と苦労をかけ、漁業者が少しずつ取り戻してきたものだ。

 2011年3月の東日本大震災と東京電力福島第1原発事故を受け、本県沿岸の漁業は試験操業の形で12年6月に再開し、放射性物質の検査を続けながら21年4月から本格操業への移行期間となった。相馬双葉、いわき市、小名浜機船底曳網の3漁協を合わせた22年の水揚げ量は原発事故後最多を更新した。ただ、震災前の10年と比べると、水揚げ量は2割強、水揚げ額は4割弱といまだ回復の途上だ。

 「何の取材?」。仲買人の男性が声をかけてくれた。「漁業関係の方に、処理水について意見を聞きに来ました」と切り出すと、マスク越しの表情が少し曇ったように感じた。

 政府と東電が第1原発で発生する処理水の海洋放出を始める時期を「今年春から夏ごろ」と見込む中、漁業者は何を思うのか―。取材の目的は、生の声を直接聞いて回ることだった。

 仲買人の男性は「放出に賛成する人はいないと思うよ」と優しく返してくれたが、それ以上は口をつぐんだ。何人かの漁師や仲買人にも同じように尋ねたが、一様に口数は少なかった。

 「(処理水を保管するタンク容量の満杯が近づき)放出せざるを得ない状況は理解できるけれど、放出されて漁業者に何の利益もないからね」。市場外で取材に応じたいわき市漁協理事の鈴木三則さん(72)が「放出には賛成できない」としつつ、複雑な心境を語った。

 鈴木さんは続ける。「国の基準より(処理水に含まれる放射性物質トリチウム濃度を)薄くして流すんだから(人や魚の)体に害はないと思う。でも風評が起きるかどうか、今は分からない。政府がもっと安心、安全をアピールしてくれないと」

 競りの開始から2時間ほどで市場は人けがなくなった。仲買人は卸先に仕入れた魚を運び、漁師は次の漁の準備へと向かっていく。これもまた「日常」。浜通りから再び消えてはならない光景だ。処理水放出を漁業復興の足かせにしてはいけない。改めて、強く感じた。(いわき支社報道部・小磯佑輔記者)