【現場はいま・本紙記者がゆく】想像とは違った「貯蔵」

 
左側が15メートルまで積み上げられた区域。右側はこれから貯蔵が進む=2月8日、大熊町の中間貯蔵施設

 東京電力福島第1原発が立地する大熊、双葉両町では住民の帰還に向け、新しいまちづくりが進められている。その一方、あの日まで「普通の日常」があった海沿いでは震災から12年を迎える今も、大型トラックが頻繁に行き交う。2月上旬、県内の除染で出た土壌などを保管する中間貯蔵施設を取材した。保管されている土壌は2045年までに県外で最終処分されることが法律で決まっている。

 最初に案内されたのは「大熊3工区」と呼ばれる土壌貯蔵施設。貯蔵済みの場所は高さ15メートルまで積み上げられ、「貯蔵」の想像とは違った。周囲に取り残された朽ちた家とは対照的に、不自然なほど真新しい施設が広がっていた。

 環境省の担当者は「『福島の復興のために』と土地を提供していただいた。住民の思いを背負い、しっかりと進めていく」と強調する。ここにはかつて、日々の暮らしがあり、施設を整備するために古里を離れた人がいる。今の状況が当たり前ではないことを忘れてはならない。

 次に、第1原発からわずか2キロの敷地内にある特別養護老人ホーム「サンライトおおくま」に向かった。正面玄関から入り、広いホールのような場所に出た。カビのような独特の臭いが漂う室内には車椅子やベッドが散乱し、11年3月8日に処方されたと思われる薬もそのまま置かれていた。バインダーに挟まれた紙には「14時46分ころ地震」と書かれていた。震災当時、施設には約140人がいたという。当事者からすると思い出したくない景色かもしれない。だが、当時を「そのまま知る」という意味では貴重な施設だとも感じた。

 約50年住んだ大熊町の土地を中間貯蔵施設の用地に提供した吉岡文弘さん(62)は「45年までの約束を必ず守り、古里を返してほしい」と強く訴える。しかし、45年には85歳だ。「土壌がなくなった古里を見届けられるか...」と年齢的な不安を募らす。

 土壌の最終処分について環境省は再生利用の方法を示しているが、県外では反対の声もある。説明の場を設けたものの、理解は進んでいないのが現状だ。放射線量など「数字上の安全」だけで理解を得るには限界があるのではないか。この1年、記者は双葉郡に住み、吉岡さんの他にも用地を提供した人の複雑な思いを聞いてきた。「45年まで待てない」と語る人もいた。少しでも早く道筋を立てなければならない。土壌の有効活用法とともに、苦渋の決断で土地を提供した人の思いを伝え続けていくことが近道になるはずだ。(ふたば支社・三沢誠記者)