【現場はいま・本紙記者がゆく】夢見る思い出のまち再生

 
JR大野駅の清掃活動を続ける伏見さん夫婦。見つめる先には更地が広がる=大熊町

 冬の寒さが和らぎ始めた3月上旬、大熊町のJR大野駅西側周辺を歩いた。特定復興再生拠点区域(復興拠点)の避難指示解除から約8カ月。そこには思うように住民の帰還が進まない一方、かつての生活を取り戻そうと前を向く人の姿もあった。

 住宅が並ぶ道路に信号機が点滅し、バスが走る。かつて人の往来を阻んでいたバリケードは見当たらない。「プシュー」。大野駅では常磐線が到着し、電車のドアが開いた。だが乗り降りする客はいない。駅周辺を歩いても更地が広がり、人の気配を感じることはほとんどない。

 「おはようございます」。午前9時ごろ、大野駅にバケツや掃除機を手にした夫婦が現れた。伏見明義さん(72)と妻照(てる)さん(70)だ。2人は常磐線が全線再開した2020年春から、駅のトイレや通路などの清掃をほぼ毎日行っている。「大野駅だから続けていられる」と明義さん。幼い頃からの思い出が詰まった駅を大切に思う気持ちが伝わる。2人に案内され、駅から700メートルほど離れた。「あれがわが家だよ」。明義さんが示す先に、木造平屋の住宅が見えた。

 明義さんは10年末に、この家を新築。約3カ月後に東日本大震災と東京電力福島第1原発事故が起きた。田村市に避難し、現在は大熊町内の災害公営住宅で暮らしている。避難指示解除を受けて自宅での生活再開に向けた準備を進め、3カ月後に暮らし始める予定だ。「もうすぐだね」。自宅内には荷物が入った段ボールが積み重なり、今からその時を心待ちにしている。

 だが、明義さんの自宅周辺はほとんどが空き家状態になっている。町によると、原発事故前の町内の居住者は約1万1500人だったのに対し、現在は2月1日時点で415人。震災前の1割に満たない。「昔の友達や近所付き合いがなくなり、駅に来て泣いている人も見かける。災害という言葉で片付けられてしまうけど、災害ってなんだろうね」。照さんがつぶやく。

 それでも、今春、町内には避難先の会津若松市から義務教育学校「学び舎(や)ゆめの森」が戻り、子どもたちの元気な声が響くようになる。「子どもたちには将来がある。元に戻るのは難しいかもしれないが、良くはなるだろう」。2人は自宅での生活再開と同様に楽しみにしている。

 活気のある姿を少しずつ取り戻そうとしている大熊町。「(震災前と)まちが変わってしまうのは仕方ないが、それを見守っていきたい」。明義さんはまちの再生とともに歩んでいく。(郡山総支社報道部・千葉あすか記者)