【現場はいま・本紙記者がゆく】原木シイタケ、希望の萌芽

 
「目の前にある自分の山の木を切れないことが悔しい」と胸の内を語る箭内さん=田村市滝根町

 「目の前にある自分の山の木を切れないのが悔しい」。田村市滝根町で原木シイタケを生産する箭内幸一さん(72)は作業する手を止め、複雑な胸の内を明かした。

 阿武隈山系のシイタケ原木の需要は高く、東日本大震災前まで国内有数の産地だった。箭内さんは20代後半で自宅から約2キロ離れた山の3ヘクタールでシイタケ栽培を開始。良質のシイタケを作りたいと、原木の伐採から手がけていた。

 しかし東京電力福島第1原発事故で状況が激変する。放射性物質の影響でクヌギの伐採とシイタケの出荷がストップした。箭内さんは他の産地から原木を購入して事業を再開。完全ハウス栽培に切り替えたが、温度や湿度の管理などこれまで以上に手間がかかるようになった。植菌した原木を外で寝かせることもできない。自然の恵みを生かしてシイタケを作ってきた箭内さんは、皮肉にも原発事故によって改めて「自然の偉大さ」を知る結果となった。

 2009年に伐採したクヌギ約5千本が直径10センチほどに成長した。伐採の適期を迎えたが、国の基準値(1キロ当たり50ベクレル)を超える放射性セシウムが検出されるため原木として使用できない。それでも「県内一の生産者になる」との志は変わらず、現在はイベントなどでシイタケをPRする。

 県によると、震災前の10年に約4万8千立方メートルに上った本県のシイタケ原木生産量は、19年時点で3%に満たない約1300立方メートルにしか回復していない。生産者も減っているという。

 産地復活を目指そうと、国と県は前年度から「里山・広葉樹林再生プロジェクト」を開始。新年度以降、年間250ヘクタールの広葉樹林を伐採して萌芽(ほうが)を繰り返すことでセシウムの減少を図る。ふくしま中央森林組合の水野郁夫組合長(70)は「(山の)所有者に希望を持ってもらうことが一番。このプロジェクトを利用していきたい」と期待を込める。国と県は20年かけて原発事故前の原木林面積の半分に当たる約5千ヘクタールを再生する計画だ。

 震災から12年が経過しても林業再生への動きは始まったばかり。ただ、「次世代まで見据えた取り組みを進めたい」と力を込める水野組合長の言葉や関係者の姿から、産地復活の未来を思い描くことができた。(報道部・熊田紗妃記者)