葉ノ木平の「無念」刻む 朝日医師、白河・土砂崩れ現場で活動

 
新型コロナウイルスの対応に汗を流す朝日さん。「いつまでも忘れることがないように」と、今年も葉ノ木平地区に足を運ぶつもりだ

 日体大大学院教授で医師の朝日茂樹さん(69)は毎年、東日本大震災が起きた3月11日に白河市葉ノ木平地区を訪れる。震災時に偶然居合わせ、13人が死亡した同地区の土砂崩れ現場で救命活動に当たった。現在は救急救命士を目指す学生の指導とともに、医師として新型コロナウイルス感染症と闘う日々を送るが、あの時から11年が経過しようとする今、自分の経験を後進に伝えようとしている。

 震災前まで白河とは縁もゆかりもなかった。揺れに襲われたのは、岩手県にある妻の実家に向かうため東北新幹線に乗っている時だった。揺れで新幹線が止まったのはJR新白河駅から3キロほど北の場所。本当にたまたまだった。

 救命活動に向かうきっかけは、避難場所で耳に入った市職員の言葉だった。数時間ほど新幹線の車内に閉じ込められ、向かった避難場所の中学校で「葉ノ木平で土砂崩れがあった」との声が聞こえた。医師だと名乗り出て、現場に向かった。

 救急医療も専門分野の一つだった。居ても立ってもいられなかった。到着すると想像を絶する光景が広がっていた。「土砂崩れというより、『山津波』に遭ったような現場だった。信じることができなかった」。一人でも多くの命を救おうと、6日にわたって現場に寝泊まりしながら救命活動に取り組んだ。

 しかし、住宅ごと生き埋めとなった13人の命を救うことはできなかった。「救えなかったことは無念でならない」。その思いは今も消えない。

 2014(平成26)年に日体大大学院の教授となり、救急医療学科で救急救命士を目指す学生を指導している。けがの判定や応急措置の方法などとともに、震災の経験を伝える。「医療知識があっても、自然の大きな力には勝てないこともある」。そう感じながら救命活動に当たったあの経験を、逆境でも活動し続ける強い救急救命士の育成につなげたいと思うからだ。

 二度と同じような災害で犠牲者が出てほしくないからこそ、「また大地震が起きると言われる中、被害を最小限にできるよう、日々の準備を大切にしてほしい」と願う。

 毎年、この時期になると3月11日を思い出す。「あの日を忘れないことが、今の私にできることだ」。今年も当日、葉ノ木平地区で行われる追悼供養祭に足を運ぶつもりだ。(伊藤大樹)

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 【11年間の歩み】震災時は、国立国府台病院に勤務。2011(平成23)年には、JR東日本仙台支社から新幹線や避難所での医療支援を評価され感謝状を受ける。

 その後、14年に設立された日体大保健医療学部の救急医療学科で、18年まで初代救急医療学科長を務める。19年から同大保健医療学部大学院教授に就任した。同大世田谷深沢キャンパスで救急処置概論の講師を務める。