放射線の正しい情報、海外へ発信 高校時代被災、福島医大の趙さん
「海外の人が抱く福島のイメージを変えていきたい」。福島医大放射線健康管理学講座研究員の趙天辰(ちょうてんたつ)さん(27)は、11年前の東日本大震災、東京電力福島第1原発事故発生当時のイメージをいまだに抱いている海外の人に、その後の福島の歩みを伝えたいと考えている。
中国籍で、日本語、中国語のほか英語、ウルドゥー語、スペイン語を操る。今、この講座で放射線の健康影響について正しい情報を発信する仕事に関わっているのは、震災と原発事故後の被災地での出会いがきっかけだ。
「このまま死んでしまうのか」。2011(平成23)年3月、相馬市。高校で授業を受けている時だった。死を覚悟するほどのすさまじい揺れに襲われた。津波の被害は免れたが、福島第1原発の水素爆発に身の危険を感じ母国の中国に一時避難。5月には相馬に戻ったが、環境は一変していた。
そんな被災地の力になろうと、県外からやってきて医療支援や教育支援に当たる人たちがいた。福島医大放射線健康管理学講座の坪倉正治教授(40)もその一人だった。
支援者たちに助けられながら、大学進学を目指し勉学に励んだ。人を救うことができる医療分野に進みたいと強く思うようになったのもこの頃だ。医大には進まなかったが、大学卒業後は語学力を生かして「医療通訳士」として働いた。20年、坪倉教授の誘いで福島医大で働くことになった。
「震災と原発事故の被害は大きく、いまだ解決していない問題も多いが、震災があったからこそ出会えた人がいて、その出会いが今の自分を成り立たせている」とこれまでの歩みを振り返る。
最近、非常に残念に感じる出来事があった。元首相5人が欧州連合(EU)欧州委員会委員長宛てに送った書簡に、福島第1原発事故の影響で「多くの子どもたちが甲状腺がんに苦しみ」との表現があった。実際は、甲状腺がんの発見と放射線被ばくとの関連は認められていない。
自分も甲状腺検査の対象者で、検査を受けた一人だ。「福島出身の若者が、将来他国で偏見にさらされることのないよう、自分ができることをしていきたい」。被災を経験した若者の一人として、福島の本当の姿を国際社会に発信する役割を果たしていく考えだ。(須田絢一)
11年間の歩み
両親が相馬市で中華料理店を営み、震災発生当時は相馬高の1年生。震災直後、新潟経由で中国に一時避難した。学校の再開に合わせ、5月に相馬に戻り、高校生生活を再スタートさせた。
東京外大に進学し、卒業後は「医療通訳士」として首都圏で働いた。2020年6月からは福島医大放射線健康管理学講座で働いている。昨年4月には福島医大大学院にも進学し、医学の基礎を学ぶ。
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