語り継ぐ避難所の教訓 保健師、災害時「手を取り合い命守る」

 
若手職員らに「一歩先を想像して行動を」と語り掛ける玉根さん

 「刻々と変わる状況の中でどんな支援が必要になるのか。一歩先を想像し行動してほしい」。東日本大震災直後の混乱を極める避難所で、住民の支援に奔走した楢葉町の保健師玉根幸恵さん(60)は、自身の経験を震災後に入庁した若手職員らに語り伝えた。震災から11年を迎え、当時の町の対応を知らない職員は増えていく。現場で抱えた苦悩も葛藤も教訓として次の世代に伝承していくことが、いつ起きるか分からない災害時に多くの命を守る力になると信じている。

 11年前の3月11日夕、楢葉南小に避難所が開設されると、玉根さんはいち早く現地に駆け付けた。避難者が200人を超える中、対応に当たる職員は自身を含め2人だけだった。経験のない避難所運営に戸惑いながらも、まずは断水に備えて男性の住民に水を確保するよう協力を求め、バケツや鍋など目に付く全ての容器に水をためた。女性には炊き出しを依頼した。「学校の備蓄米を使う際は町教委の許可が必要という声も聞こえたが、目の前の住民を守るために必死だった」と振り返る。

 翌12日には東京電力福島第1原発事故に伴い全町避難を強いられた。いわき市や会津美里町など転々とする避難先では、断水により透析療法に必要な水が使えない事態に。精神に障害のある人は服用薬がなくなり不眠や幻覚の症状が出て体調が悪化した。避難所で直面する課題は日を追うごとに深刻さと複雑さを増した。

 持病がある住民の服用薬を避難先で調達する手段や、寝たきりの要介護者を2次避難所に移動させる際はどんな方法が最善なのか―。「想像力を働かせることで、震災関連死を含め守れたはずの命が失われることはない。災害対応では住民の協力も不可欠で、普段の業務の中で信頼関係を深める努力を」。玉根さんは若手職員に静かに訴えた。

 今月末で定年を迎える。現在は派遣先の特別養護老人ホームに勤務しており、町役場を訪れるたびに面識のない職員が随分と増えたように感じる。町によると、職員約110人のほぼ半分が震災後に入庁した職員だ。

 災害時の行動に生かしてほしいと、玉根さんは今後も要望があれば職員に限らず多くの人に当時の経験を伝えていきたいと考えている。自身を含め双葉郡で震災時に住民支援に当たった保健師の声を一冊の本にまとめる構想も描く。「私を含め、当時の記憶は薄れていく。忘れてしまう前にあの日の経験や思いの全てを記し、誰かの命を守るための"生きた教訓"になれば」と願う。(辺見祐介)

          ◇

 【11年間の歩み】東日本大震災当時は住民福祉課保健衛生係長を務めていた。東京電力福島第1原発事故により楢葉町からいわき市、会津美里町と避難先が目まぐるしく変わる中、家族と離れ、単身で住民と避難生活を共にし、日々の困り事の解消に努めるなど寄り添い続けた。2018年4月に特別養護老人ホーム「リリー園」に派遣され、施設長に就任。震災と原発事故から11年を前に、震災対応に当たった職員の経験を伝承するため町が設立した「やくば語り部」の一員として、3月2日に若手職員ら約30人を前に講演した。