力を合わせて相馬の復興へ ホテル飛天、新たなスタートライン

 
松川浦を望む高台に立つホテル飛天

 県内を代表する観光旅館の一つ、相馬市松川浦のホテル飛天は今月、新たなスタートラインに立った。創業者で社長の宗形英雄さん(74)が会長に退き、浜の駅松川浦の食堂「浜の台所くぁせっと」などを手掛ける管野貴拓さん(46)が新社長に就いた。東日本大震災から11年、本県の観光産業はいまだに厳しい状況が続くが、2人は相馬のにぎわい復活に向け心を一つにする。

 「震災があり、思い通りにならないこともあった。だが、地元に密着した若者に飛天を託せたことがありがたい。思いっきり頑張ってほしい」。社長を退いた宗形さんはそう話し、かじ取り役を新たに担う管野さんの背中を押す。

 飛天のオープンは、ふくしま国体が開催された1995(平成7)年。福島市飯坂で両親と薬局や旅館を営んでいた宗形さんが、温暖な気候や豊かな海産物にほれ込み、松川浦を望む高台に旅館を構えた。オープンして間もなく常陸宮ご夫妻がお泊まりになるなど、皇族も利用。99年には全国豊かな海づくり大会のため本県を訪れた上皇ご夫妻(当時天皇、皇后)が宿泊された。

 薬剤師の宗形さんは震災前から、薬膳料理を振る舞うプランを提供するなど新たな試みを展開してきた。震災が起きたのは、理想だった「宿泊と健康」を結び付ける取り組みが軌道に乗りつつある時だった。

 直接的な津波の被害を逃れた飛天は県外の警察関係者などの宿泊拠点になった。だが、原発事故の風評が長く尾を引き、観光客は相馬になかなか戻らなかった。退位を目前に控えた上皇ご夫妻が再び宿泊されたことや、飛天で過ごすのを楽しみにする常連たちが励みになったが、コロナ禍に加え、昨年の本県沖地震など災害も相次ぎ、若い世代に飛天を譲る決意をした。

 管野さんは松川浦で旅館を切り盛りする家に生まれ、相馬市の旅館「みなとや」で経営面を担ってきた。「『ここの魚はうまいよね』と褒められることがやりがいだった」と振り返る。原発事故後「観光という商売はもうここではできないかもしれない」と思った。それでも「あのやりがいをもう一度取り戻したい」と諦めず、海産物の魅力を引き出し、伝える取り組みを続けてきた。

 共通の知人を介し宗形さんの思いを知り、飛天の継承を決意。飛天でも地物の魚にこだわり、料理を提供する考えだ。「震災前に比べ、にぎわいが戻ったとはまだまだ言えない。このまま負けてはいられない。松川浦に来れば、うまい魚を食べることができるということをもう一度多くの人に知ってほしい」と意気込む。