思う心、未来へ紡ぐ 東日本大震災11年

東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の発生から11年となった11日、多くの人があの日を思い、静かに手を合わせた。公立中学校と義務教育学校の計211校の卒業式も行われ、子どもたちが本県の未来につながる思いを紡いだ。
折り鶴に込めた「ありがとう」
ありがとう―。鶴に書き込んだフレーズには、新しい大熊町をつくってくれた人たちへの感謝を込めた。会津若松市に学校を移している大熊中の石井埜乃佳(ののか)さん(13)。生まれ故郷の大熊町で開かれた追悼行事に同級生らと参加し、町民が折った鶴にメッセージを書いた。
町の記憶はほとんどない。たびたび訪れて感じるのは、華やかな色がない、暗いイメージだ。
大熊町立学校は4月から義務教育学校「学び舎(や) ゆめの森」に変わり、来年4月には町内に戻る。その時に最上級生になる石井さん。「復興した大熊が見られると思う」と新しい学校生活を楽しみにする。
将来は花屋さんになり、町内で働きたいと考えている。「被災地の大熊には心に傷を負った人たちが多いので、花で元気づけたいと思います」。思い描くのは、花で彩られた明るい町だ。
「早く帰ってきて」気持ちは変わらず
「早く帰ってきてほしい。少しでも手掛かりが出てきてくれれば...」。津波に巻き込まれ行方不明となっている双葉署の佐藤雄太さん=当時(24)=の父安博さん(63)は、妻浩子さん(61)と共に福島市の安洞院(あんとういん)で行われた震災慰霊法要に出席した。11年間変わらない息子への思いを口にした。
毎日息子のことを思っている。「20年後も、30年後も気持ちは変わらない」。ただ、そんな自分とは対照的に、世間では震災の記憶の風化が進んでいることを痛感している。「風化していくのは当たり前。でも語り継いでほしいという願いもある」と話す。
あの日、雄太さんは富岡町で避難誘導に当たる中で津波に巻き込まれた。出動した際に乗っていたパトカーは当時の姿で保存され、警察官の勇気と使命感を今に伝えている。
「今後どんな災害が起きるか分からない。今生きている人たちには1年に1度、3月11日だけでいいので震災を思い出し、防災について考えてもらいたい。息子の思い出を災害への備えを話し合うきっかけにしてもらえるなら、父親としてうれしい」
寒い日だったあの日とは打って変わって、春を思わせる陽気となった11年後の「3・11」。安博さんは、命を懸けて住民を守ろうとした息子のことを思いながら、慰霊塔に向かって静かに手を合わせた。
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