【震災11年・備える力】津波避難ビル/いざのとき、逃げる場所

東日本大震災からの復興が進むいわき市久之浜町。新築の住宅が並ぶ一角に一見不釣り合いな建物がそびえる。津波避難ビルとして整備された高さ14メートルの地域防災交流センター「久之浜・大久ふれあい館」。久之浜は最大で高さ7.45メートルの津波に襲われ、関連死などを含め66人が犠牲となった。「すぐに避難できる場所が必要だ」。住民の声が整備につながった。
震災後間もなく住民主体で設置された地区の復興対策協議会。その席で防災拠点整備の必要性が叫ばれた。当時会長だった吉原二六(じろく)さん(81)によると、新たな堤防や防災緑地が完成しても「対策に絶対はない」との考えで一致したという。
2012年に市へ整備を要望。それから約4年後の16年3月にセンターが完成した。支所や公民館機能を持つ交流施設として使われているが、災害が起きれば260人の緊急避難が可能で、3日分の水、食料を保管した備蓄倉庫や太陽光発電など非常用発電設備を備える。浸水が想定される1階部分は高さ5.5メートルと一段高く造られ、柱を傾けることで耐震性や津波荷重への抵抗力を高めた。吉原さんは「避難ビルが、住民の安心感につながっている」と強調する。
内閣府が昨年12月に公表した巨大地震想定で、津波による被害を中心に最悪の場合、日本海溝モデルで19万9000人、千島海溝で10万人が死亡すると試算。久之浜があるいわき市北部沿岸では最大で7.7メートルの津波が想定される。一方で早期避難や津波避難ビルの整備などが進めば、被害の約8割を軽減できるとの推計を明らかにしている。
内閣府によると、県内の津波避難ビル、タワーなどは計20カ所に整備され、うち18カ所がいわき市、残る2カ所が広野町。浜通り北部はゼロで、「高台に避難できる学校があるため整備は検討していない」「必要性も含め検討中」など自治体の状況はさまざまだ。
ハード面とともに内閣府が被害軽減に向けて重要と指摘するのは、早期避難など住民の意識だ。久之浜をみれば、16年11月の津波警報発表の際、数人の住民がセンターの避難用ドアを蹴破って屋上に駆け上がるなど、いざというときに逃げ込む場所として住民の間に浸透しつつある。
吉原さんが願うのは、年月がたってもセンターが防災の象徴として地域にあり続けることだ。「震災の記憶が薄れ、人々の防災意識が低くなるかもしれない。でも、何かあったときに、ここを目掛けて避難して来れば助かるんだ」
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東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から丸11年。この間、自然災害は全国で頻発し、災害への備えの重要度は増している。被害軽減に向け求められるものは何か。「備える力」を考える。
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