美里で耕す第二の人生 浪江から避難、元SEの農家「恩返しを」
東京電力福島第1原発事故に伴い、浪江町から避難した農家吉田信也さん(46)は、会津美里町氷玉地区で野菜の有機栽培で奮闘している。元システムエンジニア(SE)の経歴を持つ吉田さんが古里から約140キロ離れた地に住んで間もなく11年。「会津で農業に出合えたからこそ今の自分がいる」と地域に根差し、第二の人生を耕している。
吉田さんは大学進学のため上京し、神奈川県のIT関連企業での勤務を経て帰郷。その半年後に東日本大震災と原発事故に襲われた。幸い家族は無事だったが、すぐに茨城県の親戚宅に身を寄せた。
2011(平成23)年の夏、楢葉町民だったパートナーの避難先になっていた会津美里町に生活拠点を移した。町内の企業などで再びSEとして2年ほど働いたが、慣れない土地での生活や仕事に加え、震災後のストレスから体調を崩し退職。通院し、何もできない日々が続いた。
転機となったのは社会復帰を目指して療養中に受けた職業適性検査だった。農業や研究職が適しているという結果に「まさかSE以外の選択肢があるとは思わなかった」。避難先の親戚の家で3カ月ほど農業を手伝った経験があった吉田さんは、震災後の押しつぶされそうな不安とつらい気持ちが農作業で少し紛れたことを思い出し、心機一転、農業の世界に飛び込むことにした。
会津若松市の農園で2年ほど研修を受けた後、会津美里町の先輩農家に畑を借りて有機栽培のいろはを学んだ。18年に自身が代表を務める「会津青空ファーム」を設立し、有機栽培農家として歩み始めた。手塩にかけてできた里芋、ミニトマト、インゲン、ニンニクなどは市場や町内のスーパーなどに出回るようになり、9月には農産物を加工した6次化商品の販売も予定している。
無農薬、無化学肥料が必須である有機栽培は、手間がかかり、難易度も高い。多くの雑草や害虫、病気などと闘う日々だが、吉田さんは「好奇心が原動力。思うように育たなくても、原因を考えて試行錯誤するのが実験みたいで楽しい」と目を輝かせる。
今後の目標は、生育データを数値化するシステムの開発だ。「いかに野菜と対話するかが重要なんですよ」と吉田さん。SEで培った技術を生かし、経験の少ない農家の助けになる機器を作ろうと考えている。
この11年の間、浪江に戻って古里で農業をすることも考えた。冬期間もほとんど積雪のない浜通りでは、より多くの収穫が見込める。しかし、吉田さんが選んだのは会津美里だった。「周りの人にも恵まれる自分は運がいい。恩返しの意味も込めて、この場所でこれからも生きていく」。会津で今年も、収穫の時期を迎える。(多勢ひかる)
11年間の歩み
2010(平成22)年に神奈川県から古里の浪江町にUターンした半年後に被災。会津美里町に避難し、システムエンジニア(SE)として勤務するが体調を崩して退職した。療養を経て先輩農家の元で研修を積んだ後、18年に自身が代表を務める「会津青空ファーム」を設立した。現在は里芋やミニトマトなどを有機栽培し、市場や町内のスーパーなどに出荷する。
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