富岡で「準備宿泊」開始 小野さん古里へ「夜の森で草木染を」

 
「初めて掃除するよ」と準備宿泊に向け室内で掃除機をかける小野さん=11日、富岡町

 富岡町の帰還困難区域内の特定復興再生拠点区域(復興拠点)で11日から、住民の準備宿泊が始まった。拠点内には夜の森の桜並木が含まれており、折しも満開を迎えた。関係者は「桜も喜んでいるだろう」と、地域再生の第一歩に希望を託す。現在は9世帯11人の参加申し込みにとどまるが、町は来春を目指す避難指示解除とともにより多くの町民が帰還できるよう生活環境の整備を進める。

 「やっと帰れるようになったな。これからだよ」。郡山市で避難生活を続ける小野耕一さん(74)は夜の森地区の住宅で、掃除機をかけながらしみじみと語った。小野さん一家は東京電力福島第1原発事故前、広い敷地の中で、小野さんらが母屋、長男夫婦と孫が新築の住宅で暮らしていた。

 原発事故で避難を余儀なくされ、小野さんは妻の繁子さん(75)と郡山市に落ち着いた。長男一家はいわき市に住宅を構えた。母屋は震災による損傷やイノシシなどの獣害で取り壊すことを決めた。

 長男宅は、一時は「取り壊そうか」という話になったが、小野さんが「いずれ夜の森に戻るから、俺に任せてくれよ」と言って、小野さんが管理することになった。小野さんが準備宿泊に申し込んだのは、長男宅だった。「これは自分でつくったんだよ」。イノシシなどの侵入を防ぐため、パイプと鉄条網でつくった柵が住宅を守っている。

 一時帰宅で片付けに取り組んだが、震災で落ちたものなどを処分することだけで精いっぱいだった。11日の準備宿泊初日に、ようやく掃除機をかけた。部屋には、2011年3月当時のカレンダーが残る。孫が小さい時に使っていたアンパンマンのおもちゃもある。孫は中学生と小学校高学年で、もう使うことはない。いや応なしに時の流れを感じさせる。

 小野さんは、避難後に草木染を学び、現在は楢葉町に工房を開いている。月曜日から金曜日までは楢葉町の工房で暮らし、土曜日に繁子さんが待つ郡山の家に戻り、一時帰宅で富岡の自宅を片付ける「二重生活」を続けてきた。これからは工房も生活の基盤も富岡に戻していく考えだ。「夜の森ならではの作品を作ろうとムズムズしている」と、創作意欲が湧き上がる。

 給湯関係の機器の経年劣化もあり、実際に宿泊できるのはもう少し先だ。周辺の住宅も解体が進んでいることに加え、かつて夜の森地区にあったスーパーなどの店はないためどうしても不便さを感じる。

 だが、小野さんは夜の森に戻る。なぜ戻るのですか―。当たり前だというような力強い口調で答えが返ってきた。「ここは生まれた時から住んで、大人になり、子どもを育てた私の古里なんだよ」(菅野篤司)