岩沢の夏...サーファー心待ち 楢葉・海水浴場、12年ぶり復活へ

 
通い慣れた岩沢海水浴場の再開を心待ちにする遠藤さん=楢葉町

 東日本大震災で甚大な被害を受けた楢葉町の岩沢海水浴場が7月15日、12年ぶりに海開きを迎える。津波で流された関連施設の工事がようやく終わり、海水浴客を受け入れる態勢が整った。「やっとここまできた。また一つ復興が進んだと感じる」。楢葉の海をこよなく愛するサーファーらは、世代を超えて岩沢海水浴場の復活を心待ちにしている。

 岩沢海水浴場は楢葉町の最南端に位置する。南側に立地する広野火力発電所が海風を遮り、遠浅で小刻みな波が立つことから、多くのサーファーから愛されてきた。町によると、震災前は海水浴客とサーファーを合わせて毎年3万人以上が訪れていたという。

 「感無量だ。岩沢に子どもたちの笑顔が帰ってくる」。富岡消防署長の遠藤朗生さん(54)は海を眺めながら感慨深い表情を見せた。非番の日に体力をつけようと、26歳でサーフィンを始めた。そこから岩沢の波に魅せられた。

 震災前は双葉郡のサーファーでつくるグループに入り、海水浴シーズンには交代でライフガードを担当していた。

 2011(平成23)年3月の津波で関連施設が壊滅的な被害を受け、地震による地盤沈下で砂浜の面積も減った。東京電力福島第1原発事故で町の全域に避難指示が出たこともあり「もう岩沢の海には入れないかもしれない」。変わり果てた姿にぼうぜんとした。津波で大勢の命が失われたことを考え、しばらくは海に戻る気にもならなかった。それでも避難指示が解除されると「ずっと立ち止まっているわけにはいかない」と海開きは休止していたが、サーフィンの再開を決意。地元の波に乗り、涙が止まらなかった。

 原発事故後も地元のサーファー仲間に声を掛け、草刈りや清掃活動に汗を流し岩沢を守ってきた。トイレや監視塔も新設され、海開きの準備は整った。遠藤さんは経験を生かし、仲間が担うライフガードを全力でサポートする考えだ。

 観光面でも期待が高まっている。JR常磐線のJヴィレッジ駅の開業で交通の利便性が良くなり、海水浴場近くにある広野町の旅館岩沢荘副社長の吉田健太郎さん(36)は「多くの観光客が岩沢に戻ってくる。こんなにうれしいことはない」と喜ぶ。吉田さんも年間300日以上、岩沢に通うサーファーだ。10月には12年ぶりに大会を開催する計画で「僕らが岩沢を盛り上げていく」と力が入る。

 「ただただうれしいね」。若手の取り組みをほほ笑ましく見守るのは、1960年代から仲間と共に岩沢を「サーフィンの名所」として発信する活動を続けてきた白土栄一さん(73)だ。体力面から09年にサーフィンから退いたが、岩沢の海を忘れたことはない。「やっとスタートラインに立てた。若い世代が新しい岩沢をつくり上げてほしい」とエールを送る。(三沢誠)