3.11の葛藤を今に 双葉旧庁舎ルポ、混在する過去・現在・未来

 
1階フロアにはかつて町民を出迎えていた大きなダルマが置かれたまま。中央奥にあるのは枯れた観葉植物(吉田義広撮影)

 双葉町の特定復興再生拠点区域(復興拠点)の避難指示が解除された30日、2011(平成23)年3月の東京電力福島第1原発事故で使用できなくなった旧双葉町役場庁舎を取材した。原発事故による全町避難が始まった現場から、双葉町の今後の道行きを考えた。

 建物の解体が進む町内で旧町役場は今もなお独特の存在感を有している。しかし、敷地内で荒々しく生い茂る草木は、堅牢(けんろう)に見える建物がもう使われていないことを実感させる。

 1階の正面玄関には町民を出迎えていた「双葉ダルマ」があった。傍らには住民票の申請書類などを書くための台があり、「3月11日 金曜日」の日付があった。ダルマは東日本大震災から11年5カ月、暗い庁舎内で目を見開いていたのだろう。時の経過は残酷だ。

 庁舎内は全く震災当時のままではない。震災直後、庁舎内には避難先での行政運営に必要な書類などが残されていたため、職員らは運び出しに汗を流した。その際に使われたであろう段ボールがあった。人が消えた庁舎内で、動物が活動した痕跡も各所にある。

 2階には原子力行政を担当した企画課があった。原発事故時、課内のボードに模造紙が貼られ、東電から寄せられた原発の状況などが書き込まれた。現在は公開用にそのレプリカ(複製)がまとめて展示してある。

 フロアの時計は震災発生の午後2時46分で止まっていた。避難の決断まで、職員はどのような気持ちで筆を走らせていたのか、行間にある不安を思った。

 高層階では、海側の景色を見渡すことができた。時が止まったかのような役場の周辺には、原発事故後に中間貯蔵施設が整備され、除染で出た廃棄物がある。視線を上げれば、先行解除された中野地区があり、これからの産業再生に向けた工事が進められていた。

 双葉町には過去、現在、未来に属する空間が混在しているようだ。復興拠点の避難指示解除で、それらの土地は帰還者らの思いを交え、さらに複雑に動いていくだろう。少しでも良い方向に。願うだけではなく、見据えなければならない。(ふたば支社・菅野篤司)