代々の畑「未来に」 浪江・吉田さん、いわきから通い試験栽培

 
自宅脇の畑で野菜の手入れをする吉田さん=1日午前、浪江町室原

 「やっぱり室原の空気はおいしい」。浪江町室原地区の吉田公明(こうめい)さん(66)は、避難先のいわき市から車で通い、いつもの畑で汗を流す。「先祖代々守ってきた場所を荒らしておけない。いつまでやれるか分からないけど、まだ体は動くよ」。帰還がかなわず亡くなった父から受け継いだ土地を「未来に残したい」と誓い、約11年6カ月ぶりに古里で一夜を過ごした。

 農家の長男として生まれた。東京農大を卒業後、町役場に入り、約35年間、町の発展に努めてきた。休日は89歳で亡くなった父孝平(よしひら)さんらと農作業に汗を流し、海や山に囲まれた自然の恵みに感謝してきた。しかし東京電力福島第1原発事故で日常は奪われた。

 帰還願った亡き父

 父と妻庸子さん(64)と3人で二本松市のアパートに避難した。約410平方メートルあった自宅に比べると窮屈で、生きがいの農作業もできなかった。「家に帰りたい」。父は何度もそう願ったが、自宅はイノシシに荒らされ、解体せざるを得なかった。せめて農作業ができる広い所に住もうと、いわき市に土地を買い求めた。

 2017(平成29)年12月、特定復興再生拠点区域(復興拠点)に自宅が含まれていたことから、住宅を再建しようと決めた。しかし時の流れは、古里を遠くさせた。帰還を願っていた父は20年3月に他界。息子や娘ら家族はいわき市や関東に住まいを定めた。吉田さん自身も孫たちの世話や、町内会役員にもなり、いわき市に生活の根を下ろした。

 父は生前、吉田さんのいないところで孫らに「室原は負の遺産になるかもしれないから、おまえたちに残せない」と打ち明けたことがあった。でも最後まで古里に戻ることを願っていた父。吉田さんは「ここで生まれ育ち、大人になり、子どもを育てた。私が守らないと。大切な古里だから」。

 室原に再建した小さな平屋は、今は畑を守るために定期的に寝泊まりする場所として使っている。でもいずれは帰還したいと思う。南相馬市出身の庸子さんも「室原はどこよりも安心感がある。21歳で嫁いで、30年も過ごしたからね」と言う。

 新居再建する仲間

 準備宿泊が始まった浪江町の復興拠点では、8割超で家屋の解体が進んだ。吉田さん宅の周囲も家の数は減ったが、新居を再建する数少ない仲間もいる。昨年からは、地域の農地保全に取り組む室原復興組合の一員として野菜の試験栽培も始めた。キャベツやカブなど6品目を育て、放射性物質を検査している。今年も問題なければ、来年からは出荷制限もなくなる。

 「まずは室原で再び農業ができることを証明したい」と吉田さん。愛する古里を次世代にどうつないでいくか。その答えはまだ見つからないが、「体が元気な限り、前を向いて生きないとな」と語った。(渡辺晃平)