心はいつも長泥に...「すぐには帰れないが」 飯舘準備宿泊開始

 
解体した自宅の跡地に立つ鴫原さん。「古里帰還に向けた課題は簡単には解決できない」と心境を明かす=19日午前、飯舘村長泥

 飯舘村長泥地区の特定復興再生拠点区域(復興拠点)で23日に始まった準備宿泊。住民帰還の第一歩と期待される節目の日だが、初日の宿泊者はいなかった。「帰りたくても帰れない...」「まだ答えが見つからない」―。長期避難により住民の生活環境や古里帰還への心境は刻々と変化している。震災と原発事故から11年という歳月がもたらした課題が重くのしかかる。

 「ここが玄関で、この辺には風呂があったな」。秋の彼岸入りを前にした19日、長泥地区から福島市に避難している鴫原良友さん(72)は、復興拠点にあった自宅の跡地で震災前の暮らしに思いをはせた。「古里にはもちろん帰りたいが、生活環境が十分に整っていない。戻るなら自宅も再建する必要があり、すぐに答えは出ない」と複雑な胸中を明かす。

 長泥で生まれ育った。高校卒業後は会社勤めをしながら、繁殖牛の飼育とコメの栽培を手がける兼業農家として仕事に明け暮れた。「朝早くに牛舎のボロ(ふん)を片付けてから会社に出勤したのが懐かしい。休む暇もなかったが、長泥の暮らしが好きだった」。原発事故でその日々は一変した。

 「まさか長泥を離れることになるとは」。村は全村避難となり、鴫原さんは福島市への避難を余儀なくされた。築60年の長泥の自宅は、長期避難の間にネズミなどのふんが散乱するなどして老朽化が進んだため、2年前に解体した。現在は市内に購入した住宅に暮らしながら、週1回ほど長泥に足を運び、自宅周辺や畑の草刈りなどを続けている。

 村によると、自宅を解体した住民が宿泊できる復興拠点内の集会所は、本年度末の完成を予定している。「昔のように親しい住民同士で酒を酌み交わしながら、長泥の将来について語り合いたいね」と鴫原さん。自宅での宿泊こそできないが、集会所を利用して今後の復興拠点の整備状況を注視しながら、古里帰還について考えていくつもりだ。

 鴫原さんは自宅跡地に立ち寄った後、妻と共に地区内にある先祖代々の墓を訪れ、手を合わせた。そして古里の風景に目を細めながら語り出した。

 「避難先からの帰還は『戻る』『戻らない』という単純な問題ではない。国や村、村民らが一体となって古里の未来を考え、長泥での暮らしやなりわいを具体的にイメージすることができて初めて、答えを出すことができる」「何が正解かは分からないけどね」。住民が抱える思いを代弁し、こう続けた。「たとえすぐに帰れないとしても、心はいつも長泥にある。先祖から受け継がれてきた土地や、生まれ育った長泥を未来に残していきたいんだよ」。その言葉には一片の迷いもなかった。(福田正義)