大熊支えた日々は宝物 若松の古川さん「子どもから元気もらった」

 
「成長した子どもたちの姿を見ることができて良かった」と話した古川さん(中央)

 東京電力福島第1原発事故の避難に伴い会津若松市河東町で活動する大熊町の義務教育学校「学び舎(や)ゆめの森」は22日、4月の町帰還を前に、同校で地域住民らに感謝を伝える会を開いた。会では、子どもたちが稽古を重ねてきた演劇を堂々と熱演した。拍手を送る観客の中には、移転してから12年にわたって学校を温かく支え続けてきた地域の住民有志「大熊ふれんず」代表の古川安子さん(74)の姿があった。

 「大熊ふれんずの皆さん、今まで本当にありがとうございました」。子どもたちから感謝の言葉を受けた古川さんは、こらえきれずに目頭を押さえた。花壇の整備や学校行事を通して地域ぐるみで子どもたちと関わってきた古川さんは「この12年間は宝物。立派に成長した子どもたちの姿を見ることができてよかった」と感慨に浸った。

 古川さんと同校との縁は、震災後間もない2011(平成23)年4月、大熊町からの移転を直前に控えた学校に、善意で水やお湯を届けたことがきっかけだ。移転先の旧河東三小は閉校から4年がたち、敷地は雑草が伸び放題で校庭はまるで荒れ地のようだった。かつて地元の子どもたちが通い、花と緑にあふれていた学校の姿とはかけ離れていた。

 「せっかく子どもたちが来るんだから、昔みたいにしたいよね」。古川さんが近所の家々に協力を呼びかけると、15人ほどが集まった。耕運機の刃が入らないほど硬くなった土を掘り返し、知り合いの園芸店から譲ってもらった花の苗を一つ一つ植えた。数日後、花で彩られた通路と花壇に迎えられ、子どもたちは避難先での学校生活をスタートさせた。

 古川さんらは、その後も餅つきや運動会などの行事に携わり、子どもたちと交流を続けた。「この子たちにとって、ここは仮の校舎じゃなくてれっきとした母校。少しでも楽しい思い出をつくってほしかった」と古川さん。避難してきたばかりの頃はうつむき気味で元気がなかった子どもたちも、交流を重ねるうちに笑顔を見せるようになった。

 古川さんらは、いつしか「大熊ふれんず」と名乗るように。「大熊」は学校がまたがって立地する二つの集落、大和田と熊野堂の頭文字から取った。大熊町に地縁はなく、足を運んだことすらない古川さんが子どもたちのために汗を流してきたのは、同じ県民として震災の痛みを分かち合い、少しでも助けになりたかったから。「でも私たちの方が子どもたちの笑顔に元気をもらっちゃって。大変だったことは一つもなくて、かえって私たちの生きる糧になった」と振り返る。

 「さよならじゃないよ、いってきます」「いってらっしゃい」―。劇中で子どもたちは胸を張って演技した。「この子たちの声が聞けなくなるのは寂しいけれど、今度は大熊を元気にしてほしい」。古川さんは笑顔で子どもたちを送り出す。(多勢ひかる)