庭のビワ、重なるあなた 失った妻子「何げない会話またしたい」

 
長女の夏美さんと植えたビワの木を見上げる鈴木さん。芽が出た時に見た娘の喜んだ姿を忘れたことはない

 鈴木順一さん 65 いわき市

 「洗濯物を取り込んでおいて」―。何げないやりとりが長女との最後の会話となった。いわき市平豊間の鈴木順一さん(65)は東日本大震災の津波で、妻富士子さん=当時(51)=と長女夏美さん=当時(19)=を失った。

 最後の電話から連絡が途絶えたまま12年がたとうとしている中、「当たり前の日常が当たり前ではなくなったことが一番つらい」。鈴木さんは津波の被害を免れた自宅で一人、家族の思い出とともに暮らしている。

 2人の遺体は震災から2週間、そして2カ月後、自宅に程近い平薄磯でそれぞれ見つかった。美容室から帰る途中、津波に巻き込まれたとみられる。震災後、鈴木さんは「とにかく生きていてほしい」と願い、寝食を忘れて行方不明の2人を捜し続けた。

 震災当日は、栃木・那須への旅行を前日に控え、2人は美容室へ出かけていた。洗濯物の取り込みをお願いする最後の電話があったのは、美容室へ向かう途中だった。美容室に到着後に地震が発生。急いで美容室から車で海近くの自宅に戻ろうとしていた際、津波に遭ったとみられる。

 「自分や父を心配して戻ろうとしていたのかな」。鈴木さんは行方不明となった2人を捜す中、当時は道路が渋滞していたと聞いた。自宅方面に向かう内陸側の道路は被災して通行止めとなり、海沿いの道を通ったと推測している。

 鈴木さんは「車を捨てて逃げたが間に合わなかったのだろう」と思いを巡らせ、「海沿いの道を通らなければ...」と悔やむ。

 鈴木さんは2人を片時も忘れたことはない。普段の外出の際にも必ず2人の写真を持ち歩いている。「妻とは結婚してから一度もけんかをしたことがない。娘もかわいくて仕方がなかった」と写真に見入る。

 思い出が詰まった自宅の庭には、夏美さんが小学3年の時に植えたビワの木が青々と茂る。富士子さんが買ってきたビワを食べ、その種を鈴木さんと夏美さんが植えたものだ。

 「まさかここまで大きくなるとは思わなかった」。水やりを欠かすことなく育て、夏美さんが「芽が出た」と喜んだ姿は一番の思い出だ。2人にもう一度会えるなら「当たり前のようにしていた何げない会話をしたい」と話す鈴木さん。2人への思いはあの日のままだ。(渡部俊也)

 【12年の歩み】

 12年前のその日は工場に出勤する前で、在宅中に被災した。毎年3月11日には、2人が亡くなったいわき市平薄磯の寺院を訪れたり、市の追悼式に出席したりして慰霊している。昨年7月に定年退職を迎え、現在はいわき市の商業施設でパート従業員として働いている。

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 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から11日で12年を迎える。震災時、津波や土砂災害などで親しい人を亡くした人たちの思いを聞いた。