山木屋で農業する喜び ソバ栽培の向上に情熱

 
収穫したソバの実を選別する大内さん。「地元で農業ができることが何よりもうれしい」と話す=2月15日、川俣町山木屋

 川俣・農業 大内孝雄さん

 「やっぱり、先祖代々の土地で農業をやれるっていいことだね」。川俣町山木屋地区の作業場で、農業大内孝雄さん(71)が白い息を吐きながらソバの製粉作業に汗を流す。東京電力福島第1原発事故による避難を経て古里へと帰還した。地元で農作業ができる喜びをかみしめながら、日々を過ごす。

 震災前は和牛繁殖や水稲、アスパラガスの栽培を手がけていた。2011年4月、山木屋地区からの強制避難が決まった。真っ先に考えたのは、家族同然に育ててきた牛のことだった。

 「家族の命をつないできてくれた牛をなんとか生かしたい」。自分たちは川俣町内の別の場所に避難し、繁殖雌牛と子牛の計10頭は伊達、二本松両市に移して避難先から通いながら飼育を続けた。しかし、避難が長引くにつれ体力的に限界を感じるようになり、牛を手放さざるを得なくなった。手塩にかけて育てた繁殖雌牛を競りに出した帰りの車中、涙が止まらなくなった。

 「自分には農業しかない」。避難先では、遊休農地を使い小菊とトルコギキョウの栽培に乗り出した。妻のまり子さん(67)と二人三脚。お盆や彼岸用の花として出荷にもこぎ着けた。

 17年に避難指示が解除され、ついに山木屋に戻った。だが古里の状況は震災前とは一変していた。「山木屋の復興の手助けになれば」。大内さんは、震災で一時栽培が途絶え、"幻のそば"とも呼ばれた「山木屋在来そば」の栽培を始めることにした。香りが強いのが特徴のソバ。年々作付面積を拡大させ、昨秋にはソバの実1500キロを収穫した。現在は地元生産者で発足した「山木屋在来そば振興組合」の組合長として、栽培技術向上に情熱を傾ける。

 昨夏、山木屋在来そばの商標名が「高原の宇宙(そら)」に決まり、魅力を広く発信しようという機運が高まっている。大内さんは「高原の宇宙は山木屋のシンボルの一つになるはずだ」と期待を膨らませる。

 山木屋地区の居住者は331人(2月1日現在)と震災前の3割に満たない。「住民帰還が進まないのが現実だが、山木屋に足を運んでくれる人は大勢いる。そこに山木屋が再生できる可能性があると信じている」。山木屋の魅力を高めるための活動を、体が続く限り続けていくつもりだ。(福田正義)

 【12年の歩み】

 原発事故に伴い政府が2011(平成23)年4月、川俣町山木屋地区を計画的避難区域に指定したことを受け、町内の旅館や空き家に避難した。同年、親族から借り受けた町内の遊休農地を活用して営農を再開した。17年3月末に避難指示が解除され、同年12月に帰還。本格的に営農を再開させ、ソバやトルコギキョウの栽培に力を入れている。21年に山木屋在来そば振興組合長に就任した。