米国でスピーチ、大きな刺激に 「廃炉の新技術学び、関わりたい」

 
米国での発表を振り返る高橋さん。「将来は廃炉に関わる仕事に就きたい」と決意を語る

 「一部の地域を除き、私たちは普通に生活しています」。米アリゾナ州で2月に開かれた放射性廃棄物研究に関するシンポジウム。いわき市の高橋那南(ななみ)さん(18)=福島高専3年=は各国の研究者や企業関係者らを前に英語でスピーチし、福島の今を伝えた。

 高橋さんは東京電力福島第1原発の廃炉について伝えるセッションで、東電や企業の担当者らに続いて演台に立った。本県の安全性や、高専学生が企業と連携して開発、活躍した廃炉ロボット、教育の取り組みを紹介。「福島に廃炉で活躍する人がいることを知ってほしかった」。ようやく緊張が解けた顔に、笑みが浮かんだ。

 人前での発表の原点は、震災後に自主避難した栃木県の小学校での全校集会だ。いわきに戻る1年生の彼女に、担任の計らいでスピーチの機会が設けられた。「震災、原発事故を受けた福島のことをみんなに知ってほしい」。人前で訴えた経験から、声を上げて伝えることの大切さを知った。

 中学3年の時、東日本台風で自宅が浸水する被害を受けた。震災の経験も相まって「災害時に役立つロボットを作る勉強がしたい」と、高専の機械システム工学科を進路に選んだ。

 入学して4カ月、希望者向けの核燃料再処理施設での研修も転機となった。漠然とした興味からだったが、担当の先生の勧めでその後、原子力損害賠償・廃炉等支援機構(NDF)や国による復興・廃炉関連の研修、会議、ワークショップに次々と参加。米国での発表にも推薦されることになった。

 同じ理工学系で学ぶ女性との意見交換や、廃炉で世界的に活躍する人々の姿は、進路などで悩むさなかで大きな刺激になった。つらい経験だった震災も、チャンスと捉えられるようになった。

 学び、理解し、経験し、成長する―。米国での発表でも取り上げた人材育成に対する考えだ。その言葉と同様に進み続けてきたことで、復興に対するおぼろげな思いがだんだんと形になってきた。「廃炉の新しい技術に目を向け、学び、関わる仕事に就きたい」

 技術者や研究者、またはそれ以外か。最終的な道を決めるのはこれから。震災後に大きな経験を得た高橋さんは、今後も学び続けることで未来を切り開いていくつもりだ。(大内義貴)

 【12年の歩み】

 震災後に静岡県や栃木県に一時的に避難し、いわき市に戻った。2020年に福島高専に入学し、同12月にNDFのワークショップ「Joshikai(女子会)」で、原発や復興について意見を交わした。21年9月には国際原子力機関(IAEA)総会のサイドイベントでも福島の若者として英語で意見発表。22年8月に福島第1廃炉国際フォーラム、同9月に文科省の浜通り研修に参加した。