ブルーベリー、復興の味に 避難先の喜多方で再び栽培

 
喜多方市で栽培したブルーベリーを使ったソフトクリームを販売する遠藤さん

 富岡・遠藤綾子さん

 「家族にとってブルーベリーはかけがえのないもの。『福島のブルーベリーはうまいんだぞ』と全国に伝えたい」。東京電力福島第1原発事故で喜多方市に避難し、生活を送る遠藤綾子さん(49)は古里・富岡町で育てていた苗木とともに新たな地に根を下ろし、「ブルーベリーで復興の後押しをしたい」との思いを強くしている。

 現在は家族4人で暮らしながら、知り合いの農家から借りた約20アールの土地でブルーベリーを栽培。ブルーベリーを使ったソフトクリームも販売している。

 ブルーベリーは家族にとって思い出が詰まった作物だ。遠藤さんが新婚旅行先のオーストラリアで食べたブルーベリーにほれ込み、富岡町の自宅近くの畑で栽培していた。

 震災前までは兼業農家として家族で栽培から販売までを手がけ、直売所などに出荷していた。「2年前に亡くなった義父も農業が好きで、一緒に手伝ってくれた。種類も豊富で地元では好評だったんですよ」

 穏やかだった生活は震災と原発事故で一変。避難を強いられ、各地を転々とした。原発事故から半年後に自宅に帰ると、ブルーベリー畑は雑草が生い茂り、見る影もなくなっていた。

 「自宅も有害鳥獣に荒らされ、思い出したくない光景だった」。遠藤さんは避難による将来の不安などでも精神的に追い込まれる中、喜多方市で知り合った農家からの言葉に背中を押された。

 「ブルーベリーが好きなら、ここでもやったらいいべ」―。知人のつてをたどり落ち着いた喜多方で栽培再開を決めた。避難生活で家族の絆も揺らぐ中、2013年ごろから知人から借りた農地に苗を植え、再び家族で育て始めた。

 農作業に取り組むと、次第に家族の笑顔も増えていったという。「収穫できた時の思いはひとしおだった」。栽培が軌道に乗り、17年にはソフトクリーム店「ベリーズソフトクリーム」を開店し、少しずつ知名度も上がってきている状況だ。

 今後の目標は、喜多方市と富岡町でブルーベリーを育てて商品化することだ。遠藤さんは「富岡で酸味が強かった品種が喜多方で甘く育つことがある。それぞれの風土の良さをブルーベリーが教えてくれた」。遠藤さんは古里の富岡を思いながら、家族で栽培に取り組んでいる。(斎藤優樹)

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 【12年の歩み】原発事故による避難指示を受け、家族5人で田村市常葉町や栃木県那須町への避難を経て、2011年から喜多方市で生活を始めた。