倒れたままの机、木々が茂る中庭...双葉高、激震の痕跡

 
(写真上)震災で書類が散乱した双葉高の職員室を確認する同窓生=19日午後2時40分、双葉町(永山能久撮影)(写真中央)震災で被災し、閉鎖されている双葉高の校舎(奥)。12年を経て周辺には草木が生い茂っている。手前左は部室棟(写真下)机や荷物が倒れたままの教室で校訓が書かれた紙を手にする同窓会長の松本さん

 双葉高同窓会は19日、今年で同校が創立100年になることに合わせ、双葉町の校舎内の状況を視察した。双葉町はJR双葉駅前を中心とした特定復興再生拠点区域(復興拠点)の避難指示が解除され、生活再建に向けた動きが進められている。一方、東京電力福島第1原発事故の影響で休校となり、人の出入りがない校舎内には、東日本大震災から12年が経過した今も、本県を襲った激震の痕跡などが残されていた。(ふたば支社・菅野篤司)

 校舎の視察は県教委の許可を得て行われ、福島民友新聞社などが同行した。

 双葉高は3階建ての北校舎と2階建ての南校舎に分かれており、2階の渡り廊下でつながっている。正門などに面した北校舎の1階は侵入防止などのため窓に板が張られており、懐中電灯の明かりで進んだ。入り口そばの事務室は机の引き出しが開き、書類が散乱しており、3・11の大きな揺れを思い起こさせた。

 廊下にあるトロフィーなどを飾るための棚には、双葉高が甲子園出場を決めた際の県大会優勝の盾などが残されていた。同窓会員らは、校舎で過ごしたときの思い出を語り合いながら、無人の校舎内の様子を撮影するなどしていた。

 北校舎から南校舎に向かう途中、中庭の風景が見えたとき、「何だこれは」と声が上がった。かつて芝生が広がっていた中庭には、密林のように木々が生い茂って地面が見えなかった。2階の高さに及びそうな木もあり、変わり果てた姿は震災と原発事故からの年月を物語っていた。

 南校舎の2階は1年生の教室だった。今も倒れたままの机や教科書、荷物などが残されており、時間が止まっているかのようだった。一つの教室で、同窓会長の松本貞男さん(75)が落ちてガラスの割れた額縁から、1枚の紙を取り出した。そこには校訓の「質実剛健 終始一貫」が書かれていた。松本さんは、その紙を手に取って校舎を後にした。

 松本さんは「10月に創立100年の記念事業を行うが、残念だが校舎を使うことができない。双葉高の伝統を引き継いでいくため、同窓生の力を借りていきたい」と語った。