被災建物...保存か解体か 双葉南小ルポ、復興拠点で新たな悩み
県内では昨夏から今春にかけ、帰還困難区域内にある特定復興再生拠点区域(復興拠点)の避難指示解除が相次いだ。復興のステージは着実に進んだが、拠点を整備した自治体では「震災の教訓を今に伝える施設をどう扱うか」という新たな悩みに直面している。背景には、拠点内の建物は避難指示解除から1年以内に保存するか、解体するかを選ばなければならないという決まりがある。今後の方向性が注目される施設の一つ、双葉南小の現状を23日に取材した。
双葉南小は、東京電力福島第1原発から3キロ圏内にある。正面玄関から入り、児童のげた箱に差しかかると、同行する双葉町秘書広報課長の橋本靖治さん(49)から「何か気付いたことはありますか」と聞かれた。よく見ると、げた箱にあるのは下履きだった。「激しい揺れから早く避難するため、上履きのまま逃げたそうです」と教えてくれた。
橋本さんはかつて、町内の施設の状況を記録、保存する事業に関わった。「ここにはランドセルが積み上げられ、残されていたんです」とも語る。げた箱の上には、その当時の様子を撮影した写真が飾られていた。双葉南小は、残された私物を持ち主に返却するため一部を片付けたが、どう変化したかが分かるよう整理されている。
教室を見ると、ランドセルを載せた机が整然と並べられていた。震災当時はワックスがけのため多くの教室で机は廊下に出されていた。現状は3年前の私物返却のため、机を教室に戻した姿だ。全校児童は192人。私物を取りに来ることができたのは約3分の1だった。残されたランドセルの数だけ、双葉に戻れなかった子どもがいる。
6年生の教室に入った。黒板には「卒業まであと8日」と掲示があった。壁には、一人一人が家族の出来事や社会のニュースをまとめた「激動の12年 自分史」というプリントが張られていた。何人かは「小学校卒業」と、予定を先取りして書いていた。だが、彼らは原発事故に伴う全町避難により母校で卒業式を迎えることはできなかった。
双葉南小に残された品々からは、当たり前と思っていた生活や人のつながりを突然に、そして長期間にわたり断ち切ってしまう原発事故の理不尽さを感じ取ることができる。このような場所は、県内にまだ何カ所残っているだろうか。(ふたば支社・菅野篤司、浪江支局・渡辺晃平)
迫る判断の期限 大熊、双葉
復興拠点として避難指示が解除された6町村のうち、公共施設や民家などの建物を残すか、壊すかの判断が間近に迫っているのは大熊、双葉両町だ。両町の復興拠点はかつての中心市街地が含まれ、小中学校の校舎など震災前の記憶を宿す「思い出の建物」が数多くある。
建物の解体を巡り環境省は「避難指示の解除から1年後」までを、解体申請を受け付ける期間に設定。解体費用は国費で賄われることから建物の所有者は無償で解体できる。大熊町は昨年6月末、双葉町は同8月30日に避難指示が解除され、締め切りが近づく。現在は使われていない学校などの教育施設は地域の心のよりどころだったが、改修や維持管理の膨大な費用、利活用などの問題に直面する。
大熊町はすでに教育施設の解体、保存の方針を決定し工事が進む。閉校した大野小は起業支援拠点に生まれ変わった。一方、町を象徴する建物の一つだった町立図書館は費用面や周辺の再開発事業などの理由から解体されている。
双葉町は今後、町内で学校教育を再開するに当たり、双葉南、双葉北両小、双葉中など既存校舎を利用せず、新たな教育施設の整備を前提とした検討に入る。既存校舎解体や保存の議論は大詰めを迎えている。
両町とも旧庁舎解体
大熊、双葉両町は、震災当時まで使っていた各町役場の旧庁舎を解体することを決めた。両町は環境省に解体を申請した。いずれも復興拠点に立地し、地震で被害を受け、改修費や利活用などを検討した上で解体を決定。両町はすでに新しい町役場を整備している。
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