【震災5年インタビュー】脚本家・倉本聰氏 今こそ「自立」が必要

 
 くらもと・そう 東京都出身。東大文学部美学科卒。1963(昭和38)年にニッポン放送を退社し脚本家として独立。77年に北海道富良野市に移住。代表作に「北の国から」など。昨年は演劇「ノクターン―夜想曲」全国公演を成功させた。81歳。

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から5年。この間に本県の再生への奮闘を見守ってきた識者たちに、復興の新たな段階に向かう県民たちへの提言とメッセージを聞いた。初回は震災後の支援活動や演劇公演を繰り広げてきた脚本家の倉本聰氏(北海道富良野市)で、今こそ県民が「自立」し前向きに生きることが必要だと力を込めた。(聞き手・いわき支社報道部長 渡辺哲也)

 ―この3月11日で、震災と原発事故から丸5年となる。この間に見てきた被災地としての本県への思いからうかがいたい。
 「いろいろなことを考える。われわれ自身が福島県民の身になって考えた時、われわれは誰が加害者なのか、誰が被害者なのかをもう少し考える必要がある。福島県民は被害者だった。しかし、風化とともに福島県が放射能をばらまいているような、漫然と福島という地域が加害者に見られているような気がする」

 ―復興がまだまだ道半ばである一方で、被害者である県民が原発事故の賠償やさまざまな支援などに依存する現実を危惧する意見もある。県民がこの時点で問われる真価とは。
 「県民が甘えているとは思わない。ただ、自立に対し、他力本願という言葉もある。頼るべき国が頼りにならないことは、この5年間で思い知らされたのではないか。国や社会の対応が何となく見えてきた中で、こんなに冷たいものかと思う人もいると思う。人間の中の人格というものが国というものには存在しない。だから自立しかない。物質的にも精神的にも自立しかない。愚痴を言うのを忘れ、もう少し前向きになることと、海抜ゼロ(原点)に戻って考え直すことが必要だ」

 ―未曽有の災害から見えた日本や日本人の姿とは。
 「今こそ、われわれはもう一度考えなければならない。日本人がいかに無知で冷たいか、そして、いかに自己本位かを、原発事故と、事故後の原発再稼働が示した。日本人がその程度の倫理観であり、覚悟もなく、無責任で、個人主義に落ちてしまった。僕自身も『3・11』の前は原発というものに関して無知だった。無知だったことが、あの事故後、東京の人も分かったと思う」

 「ゆがみ解消」時間かけ

 ―未曽有の災害だったが県民は復興の道を共に歩み、それぞれの懸命な努力で復興の芽は着実に膨らんでいる。ただ、避難の在り方や賠償などをめぐって、県民の間には、ゆがみも生まれた。そのゆがみが復興の歩みを妨げるのか。
 「(ゆがみを解消する)すべはない。人間のさがだ。人間の民度がよほど高ければ起こらないが、人間は嫉妬深く、他への対抗心がある。絶対に消えない。賠償金の話や避難解除の時期などに対する心理は人間に必ず付いてくる。時間をかけて解決するしかない問題だ。相手は漠としてつかみどころがない。だから、家族に八つ当たりするのと同じで、当たれることに当たってしまう。そうすると、人の心はすさんでいく。心のすさみをやめるべきだ。政治家が考えなければならないことは、被災者のAさんとBさんを比較するのではなく、自分自身と被災者を比較する気持ちだ」

 原発事故は国が賠償を

 ―5年の間に避難者の生活再建をはじめ、本県復興にとって賠償は不可欠な存在となった。賠償というものをどのように捉え、向き合えばよいのか。
 「津波、地震という自然災害と原発事故をあらためて区別すべきだ。自然災害は賠償してもらうのではなく、援助してもらうものだと思う。しかし、原発事故は賠償してもらわなければならない。同じ仮設住宅に避難している方々でも津波被災者と原発事故による避難者とは分けて、論理構成をしなければならない。原発事故の賠償は国がすべきだ。ただ、国は全く当てにならない。景気を良くすることが賠償を良くすることにつながるならば話は別だが、そうではない。国内総生産(GDP)が上がっても福島県への賠償にはつながらない」

 ―風評被害は復興に暗い影を落とす。官民を挙げた風評被害払拭(ふっしょく)の取り組みを進めるが、道半ば。求められる取り組みとは。
 「風化は早いが、風評被害は長い。本当に小さな努力の積み重ねでしか実らないと思う。大好きな日本テレビ系列の番組『鉄腕ダッシュ』で(人気コーナーの)『ダッシュ村』は浪江町にあったと聞く。そのダッシュ村が浪江の地に戻り、TOKIOのメンバーが農作物を再び作り、その農作物が安全なことを示すことのような出来事が一番のプロパガンダであり、(福島の安全を)一番国民にアピールできるものではないか」

 ―廃炉や除染などが進む中で復興需要も生まれた。原発事故で変化した本県の姿をどう見るか。
 「福島第1原発事故の現場で働いている人、廃炉作業に携わっている人は危険を覚悟しながら動いている。その思いを単に景気が良くなったと片付ける人がいるかもしれない。いわき市や福島市の景気が良くなったと喜んで良いのかと思う。福島県の人々はどのように考えているのだろうか。廃炉のための雇用、後始末のための雇用だが、資本主義社会はそのことさえも喜んでしまう。いろいろなことがもつれて、複雑に絡んでいるように見える」

 質素は日本人の美徳だ

 ―今だからこそ、県民の「絆」や倫理観が問われているように思う。県民に求める人物像とは。これまで自身が描いてきたドラマや映画の登場人物で例えると。
 「(ドラマ『北の国』からの主役で俳優田中邦衛さんが演じた)黒板五郎。金はないけど、生活に満ち足りているし、それ以上求めない。精神的に満ち足りている。もう一度おおもとに立ち返り、原発がなかったころの福島県、農業立県だったころの福島県に立ち返って考えることも一つの方法ではないか。僕も30年以上同じ服を着ているが、決して貧しいとは思わないし、幸せに暮らしている。質素であることは日本人の美徳だったが、どこかで忘れ去られてしまった。日本人はブレーキとバックギアを付け忘れた欠陥車を作ってしまったという言葉に尽きる」