当時状況と現状、記憶に刻む 伝承館に県内外から多くの来館者

 
開館初日から大勢の来館者が訪れた「東日本大震災・原子力災害伝承館」=20日、双葉町

 双葉町に20日開館した東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の記録施設「東日本大震災・原子力災害伝承館」には、県内外から多くの来館者が訪れ、複合災害が起きた当時の状況や、避難生活が今なお続く現状を記憶に刻んだ。一方、展示物や映像で災害の脅威を伝える発信力や、原子力政策の負の側面を積極的に検証する姿勢を求める声も聞かれた。

 2011(平成23)年3月の震災、原発事故から現在までを時系列で伝える伝承館。災害の始まりとなるコーナーでは、資料の展示に加え、押し寄せる津波や水素爆発する原発建屋の映像が流されている。当時の浪江町の会社員(36)=南相馬市=は「津波や水素爆発の映像は何度見てもショックを受ける。目で見て知る分かりやすさがあった」としつつ、「もっと緊迫した映像があった方が、より伝わりやすいのではないか」と内容をさらに充実させる必要性も感じた。

 原発事故直後の対応を巡るコーナーでは、錯綜(さくそう)する情報や変遷する避難生活などを紹介。原発事故による大規模な避難を免れたいわき市の男性(77)は「大変な災害だった。原発事故で避難した人たちは、もっと大変だったのではないか」と思いを巡らせた。

 県民の証言映像に耳を傾けた東京都の自営業女性(56)は「福島の人は自らの苦しさを語らない印象がある。報道では分からない部分をゆっくり聞けてよかった」と話した。復興への挑戦や新しいまちづくりなどを発信するコーナーもあり、埼玉県の公務員女性(50)は「復興へのエネルギーを感じた。新しい希望が芽生えていると思う」と語った。

 一方、郡山市の高校教諭(57)は「『事故の教訓を伝える』という部分が弱く感じた」と印象を説明。原子力政策を推進した県などの姿勢を省みる資料の乏しさを挙げ「『福島はもう大丈夫』というメッセージありきに見えた」と指摘した。

 館長の高村昇長崎大教授は取材に「原子力災害からの復興というのが、伝承館の中で重要な位置を占めると考えている。原発そのものを含めた部分を伝承館で展示するかどうかは、来館者や専門家らの声を聞きながら判断していきたい」と述べた。