「減災の力に」命懸けの経験伝える いわき、若者世代の語り部

東日本大震災で津波にのみ込まれながら一命を取り留めたいわき市平豊間の会社員小野陽洋さん(29)は15日、同市のいわき震災伝承みらい館で語り部の活動を始める。「震災から10年になり、記憶は薄れていく。自然災害の被害を減らすきっかけになれば」。命懸けの教訓を伝えるため、貴重な若者世代の語り部として一歩を踏み出す。
震災当日、小野さんは海沿いの自宅に祖母=当時(79)=と2人でいた。地震で室内は足の踏み場もないほど散乱。揺れが収まり、テレビやラジオで状況を確認すると、大津波警報のニュースが流れていた。
「津波が堤防を越えても、床上浸水くらいで済むだろう」。家族に状況を伝えるため、デジタルカメラで室内を撮影していた小野さんは、2階のベランダから海を見渡した。カメラを構えながら第1波の様子を確認していたが、海岸の消波ブロックを少し越えた程度だった。
被害が少なかったことに安堵(あんど)した一方、見慣れた穏やかな海には戻らなかった。カメラの画面越しに見えた景色は、あるはずの場所に海がなく、潮が沖に引いていく異様な光景だった。第2波の予兆となる「引き潮」だった。
津波の規模とスピードは想定をはるかに超えていた。引き潮から津波が陸に向けて動き始めてから約1分後、目の前に迫ってきた濁流は2階のベランダを越え、2人に襲い掛かった。
首から下までが海水に漬かる中、小野さんは右手で祖母を支えながら、左手で流し台につかまり、「引き波」の力に耐え続けた。体の自由が利かない恐怖を味わったのは約10分間。体に傷を負ったが、祖母ともに何とか生き延びることができた。
被災から9年余り。小野さんは語り部になることも考えてきたが、「避難せずに自宅にいて助かった」との負い目があり、公の場で伝えることにためらいがあった。
転機となったのは昨年の東日本台風。いわき市では関連死を含め13人が犠牲になった。亡くなった原因の大半が逃げ遅れと分かり、震災当時の自身の状況と重なった。「被災経験を生かして自分にできることがあるはずだ」と決心した。
小野さんは、当時撮影した津波の映像や、被害を受けた自宅の写真などを活用し、震災から学んだ教訓をまとめている。平時から自然災害が発生した時の対応を考える時間を提供するためだ。「災害はいつどこにいても起こり得る。生かされた命を無駄にせず、避難の大切さを伝えたい」
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