津波被害で高台移転、松川浦の旅館10年ぶり再開 カフェも併設

 
新設した松川浦を望むテラスで旅館再開を喜ぶ坂脇さん(右)、米子さん

 東日本大震災による津波の被害を受け、営業を休止していた相馬市岩子の旅館「海游の宿はくさん」が、高台に移転し約10年ぶりに再開した。松川浦周辺ではいまだ休業を余儀なくされる宿泊施設も多い中、代表の坂脇忠雄さん(67)は「10年は長かったが、お客さんの喜ぶ顔がうれしい。訪れた人に松川浦の美しい景色を見てほしい」と笑顔を見せる。

 旅館は、坂脇さんの父が1980(昭和55)年に民宿「白山荘」として開業、坂脇さんが後を継ぎ、2001年に旅館に業態を変更した。眼前に松川浦を望む景色が人気で、釣りや潮干狩り客でにぎわっていたが、津波で1階部分が流失。坂脇さんたちは旅館すぐ裏手の高台の山に避難し、その様子を見つめるしかなかった。

 「津波の危険がある場所で営業を続けることはできない」。坂脇さんや妻でおかみの米子さん(65)は当初、廃業を考えた。しかし、日々を漫然と過ごす中で「もう一度挑戦したい」との思いを強めた。そんな折に届いた営業再開の補助制度の案内。坂脇さんたちが思い描いたのは、避難に使った高台に移転しての再開。「高い場所に移れば安全が確保できる」

 補助金は程なく認められたが、県立自然公園の松川浦での建築には、高さなどに制限があった。また当時は復興関係工事の真っただ中で、施工業者が見つからず、着工は17年になってから。整地作業なども含め想定以上に工期がかかったが、今年10月25日、ようやく営業再開にこぎ着けた。

 運営は主に坂脇さん夫妻と長女の遠藤以津子さん(38)が担う。鉄骨3階建ての最上階にはパティシエの修業を積んだ次女鈴木正子さん(33)がカフェを併設し、家族の力を結集しての新しい船出となった。

 10年ぶりの接客業に緊張の連続だというが、震災前からのなじみの客も訪れ、祝福してくれた。また、新型コロナウイルス感染症の逆境の中での再開となったものの、宿泊補助制度を利用しての来客も目立つ。部屋や新設したテラス、風呂などから見下ろす松川浦の美しい景観が早くも話題を集めている。

 地元海産物中心のメニュー提供はまだ難しく、集客力を持つ潮干狩り再開もめどが立たない。新型コロナの影響も続く。それでも相馬市沿岸部は、市道大洲松川線の再開通や海水浴場の再開、市民市場の開設など、10年で復興へ向け様変わりした。坂脇さんは「まだ先は見えないかもしれないが、松川浦の良さを知ってもらい、訪れた人を笑顔にする力になりたい」と決意を示す。
 
 宿泊営業は23軒に減少

 相馬市観光協会によると、松川浦周辺では震災前44軒の旅館、民宿が営業していたが、ほとんどが津波の被害を受け、今年10月末現在で23軒に減少。「はくさん」のある岩子地区は震災前は8軒あったが、宿泊業を再開したのは同旅館で2軒目にとどまっている。