浪江で引き取り待つ「震災の品」...ぬいぐるみなど1万5000点

東日本大震災の津波で甚大な被害を受けた浪江町で、がれきの撤去作業で見つかった品物を保管し、持ち主に返す「思い出の品展示場」が来年3月21日、閉鎖する。津波の猛威で足が取れたブタのぬいぐるみ、家族の笑顔が納まったぐしゃぐしゃの写真―。開設から約6年半が過ぎた今も、震災前の記憶を残した多くの品々が展示され、引き取りを待っている。
展示場は、環境省の発注で町沿岸部のがれき処理を行った大手建設会社「安藤・間」(安藤ハザマ)の運営で2014(平成26)年7月、同町高瀬の旧・双葉ギフト店舗内に開設された。写真、玩具、位牌(いはい)、学用品など約1万5000点の品物が、「あの日」の記憶を伝える"贈り物"として棚に整然と並ぶ。これまで約1万人が来場し、約2300点が持ち主の元に戻った。
震災からもうすぐ10年。来場者数は昨夏から月平均100人を切り、品物の引き渡し件数が大幅に減ったことなどを踏まえ、一定の役割を果たしたとして環境省と町が閉鎖を決めた。
「開設当初は、津波で全てを失った人が『何かないか』と期待感を持って捜し求める姿があった」。展示場の管理者としてオープン当時から携わる元町職員の川口登さん(71)=浪江町出身=は振り返った。しかし、時間の経過は風化を生んだ。「心に区切りを付けた人はもう来ない。津波を思い起こすトラウマの品でもあるから」と考えている。
震災当時、町沿岸部の中浜地区に住んでいた川口さん自身も、津波で自宅が流され、両親を亡くした。失意の中、東京電力福島第1原発事故により福島市に避難していたある日、後輩の町職員から「写真が見つかりました」と連絡が入った。受け取ったのは両親らが納まった写真18枚。現在、相馬市に新築した自宅に暮らす川口さんは、その写真を「古里とつながることができる唯一の宝物」として、大切に保管している。
展示場の閉鎖後、残った品物は処分される予定だが、「それぞれにかけがえのない思い出が詰まっているはず」と川口さん。品物の中には、津波によりほとんど原型をとどめていない物もある。引き取り手はもう現れないかもしれないが、「がれきの中から拾い集め、泥を落として洗浄し、後世に残そうとした人々の希望も詰まっている」と語る。薄れゆく記憶を伝える思い出の品。引き取り手を待つこれらの品々に、残された時間は少ない。
月~土曜日に開場
展示場は月~土曜日の午前9時~午後4時に開場している。場所は浪江町高瀬字牛渡川原217。問い合わせは展示場(電話0240・24・0100)へ。
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