新天地・福岡に『希望のリンゴ園』 福島から移住の渡辺さん一家

 
渡辺さんと正隆さんが昨年に実らせたリンゴ=福岡県川崎町観光リンゴ園

 「果物王国福島」の技術が、約1000キロ離れた福岡県で受け継がれようとしている。福島市から同県に移住したリンゴ農家の渡辺正典さん(70)は今年、新規就農した長男正隆さん(42)と共に、同県嘉麻(ま)市で新しく開く果樹園の準備を本格化させる。東日本大震災から10年の節目に一家の挑戦が始まった。

 「剪定(せんてい)一つで味も大きさも変わる。難しいからこそやりがいがあった」。渡辺さんは、福島市の農家に生まれ家業を継いだ。代々続く畑で果物やコメを栽培し、中でも夢中になったのはリンゴ。樹木と向き合い約40年、品評会で数々の賞を重ねる高品質な果実を実らせる技術を身に付けた。JA新ふくしま(現JAふくしま未来)リンゴ専門部会の幹部も務め「福島のリンゴ」の品質向上を進めたほか、販路拡大のため全国を営業で駆け回った。

 しかし、原発事故で状況は一変した。樹木を除染し、生産したリンゴは「安全」のお墨付きを得たが、価格は10分の1まで下がり、全国にいた顧客の8割を失った。「自分のリンゴに誇りが持てなくなった」。2013(平成25)年、リンゴの生産を断念した。

 そんな時、震災後に縁のできた福岡県川崎町を訪問。紹介された町営リンゴ園を見学すると、木の枝は伸び放題でお世辞にも良いとは言えない管理状態。しかし、それがかえって「農家魂」に火を付けた。寒暖差があり、福島市の気候にも似ていた。「経験が生かせるかもしれない」。新天地での再起を決め、15年秋、妻喜美子さん(70)と夫婦で移住した。

 町の臨時職員として早速、リンゴ園の再生に取り掛かった。老木を切り倒し、根元まで日光が届くように枝を剪定。減農薬にも取り組んだ。周囲から「枝をいっぱい切ってしまう変な人」と見られたこともあったが、結果で証明するしかなかった。

 迎えた17年秋。それまで小粒だった実は、大粒で真っ赤な甘い果実に変わった。おいしさの増した「川崎のリンゴ」を周囲も認めてくれた。評判は広がり、町外からの注文も舞い込んだ。

 そんな父の背中を見続けてきた正隆さん。東京で働いていたが「技術を受け継ぎたい」と一念発起。19年に家族で父の暮らす同町に移り住み、リンゴ栽培に励んでいる。

 現在一家は同町隣の嘉麻市で、正隆さんが経営する果樹園を開くため準備を進める。3月にはリンゴなどの苗木約400本を植える予定だ。出荷まで数年かかるが、福島で培った技術を注ぎ込んだ「嘉麻のリンゴ」が誕生しようとしている。

 古里を離れた後ろめたさは今も残るが、決して捨てたわけではない。地元で奮闘する仲間に勇気づけられている。かつて福島で作ったリンゴを九州に送っていたように「今度は九州から福島に届けたい」と渡辺さん。おいしいと言って食べてくれる県民の笑顔を思い浮かべている。