「福島再生」を私の手で いわき出身の東電社員・須藤郁弥さん

 
滞留水の移送などについて打ち合わせをする須藤さん(左)

 父親の背中を追って飛び込んだ東京電力での10年間は、思い描いていた未来とは全く違った。それでも、廃炉の進展と復興の足跡が重なるこの仕事に、後悔は一切ない。原発事故直後の2011(平成23)年4月に東電に入社した須藤郁弥(ふみや)さん(28)=いわき市出身=は「今後もずっと福島第1原発に関わり続けたい」と言い切り、最長40年とされる廃炉が完了した古里の姿を思い描く。

 平工高の3年生だった10年前の3月11日。東電への就職が決まり、福島第2原発への配属を控える中、いわき市の自宅で大きな揺れに襲われた。

 津波被害はなく、同居する家族4人も無事だったが、翌日以降、繰り返しテレビから流れる映像に言葉を失った。爆発音を残し、原子炉建屋から吹き上がる白煙。「内定を取り消されないかが不安だった。こんな事態になるとは想像していなかった」

 父親も東電社員だった須藤さんにとって、原発は幼いころから身近だった。中学生の時に東電への就職を志し、平工高に進学して原発の知識を身に付けた。社会を支える仕事に携わる父の姿が誇りだった。事故直後の不安の中、福島第1原発に駆け付け対応に当たる父を見て、自分の中にも使命感が育っていくのを実感した。

 入社後の配属先は柏崎刈羽原発(新潟県)に変更となり、15年12月に福島第1原発へ異動。1~4号機の建屋などにたまった汚染水(滞留水)の移送を担い、19年9月からは3カ月間、技術力を身に付けるため地元企業へ出向した。

 滞留水は一部の建屋を除き、廃炉工程表に掲げた20年中の処理が完了。「協力企業と連携してやり遂げることができ、達成感があった」と声を弾ませるが、山積する課題を考えると「自分にとっては(事故から)まだ10年という気持ちが強い」というのが本音だ。

 10年間で避難指示の解除が進み、地元住民の帰還に喜びを感じている。その一端を担う仕事を誇らしく思う一方、東電社員という肩書に名乗りづらさを感じているのもこの10年間の事実だ。「見られ方が180度変わり、原子力部門を離れた人も、退社した人もいた。でも、自分は一度も東電を辞めようと思ったことはない」。廃炉をやり遂げた日が、心から胸を張れる日だと信じている。