大堀相馬焼、新天地で復活の火 浪江に組合新拠点3月20日開所

 

 300年超の歴史を誇る伝統的工芸品「大堀相馬焼」。産地の浪江町大堀地区は、東京電力福島第1原発事故で帰還困難区域となり、大堀相馬焼協同組合の窯元らも避難を余儀なくされた。再興に向けた取り組みが実り、20日には町内の「道の駅なみえ」近くに展示販売・陶芸体験の機能を備えた組合の新拠点が開所する。10年ぶりに浪江にともる相馬焼の"復活の火"。関係者は「後世に伝統を残したい」と、それぞれの新天地で決意を新たにしている。

 「浪江にあってこその大堀相馬焼。町に戻ることに意味がある」。組合理事長で「春山窯」13代目の小野田利治さん(59)=避難先の本宮市荒井で事業再開=は、組合の新拠点の開所を喜ぶ。

 原発事故前の組合加入の窯元は23軒。震災で窯や作業場に被害が及んだ上、後継者不足の問題もあってすでに廃業を決めた窯元もある。現在、避難先で作陶を再開したのは小野田さんの窯を含めて県内外の10窯元だ。新拠点には各窯元が交代で詰め、作品の展示販売や来場者の陶芸体験を行う。

 小野田さんは2月中旬、かつての自宅兼工房を訪れた。10年前から時が止まったかのように、割れた陶器が散乱していた。小野田さんは「まだ先かもしれないが、いつか震災前のように町内で作陶できるようになればいい」と将来を見据えた。

 各窯元の再建を支えたのは、事故当時の組合理事長で「休閑窯」15代目の半谷秀辰さん(67)=二本松市=だった。「原発事故が悔しくて毎日泣いていた」という半谷さんだったが、「俺は死ぬのも大堀と決めた」と気持ちを切り替えて動きだした。2012年7月には町役場が避難していた二本松市に、各窯元の共同窯としての組合拠点をつくり、相馬焼の命脈をつないだ。

 ただ、問題となったのは大堀相馬焼の特徴「青ひび」を醸し出す上薬の調達だった。原料は町内で産出する「砥山石」だが、放射性物質の拡散で確保できなくなっていた。そこで、会津若松市の県ハイテクプラザに代替材料の開発を依頼して確保することに成功した。誇りを背負う窯元たちをさまざまな人が応援した。

 「自分の代で伝統を途絶えさせるわけにはいかないからね」。半谷窯16代目の半谷貞辰(ていしん)さん(68)=福島市=は、5月中旬に福島市に自宅を兼ねた新工房を開く。

 11年から陶芸仲間の窯を借りて作陶した。「震災後に初めて作陶したときはうれしかったな。多くの不安があったけど、土と向き合える幸せで紛らわせたもんだ」と笑顔を見せた。半谷窯は貞辰さんが器を成形し、妻の菊枝さん(64)が絵付けを担当する。二人三脚で「走り駒」などの伝統の技法をつないでいく。