浪江学んだ「心の授業」 津島小仮校舎に幕、10年寄り添い指導

 
子どもから教えられた多くの学びを糧に、新天地の学校でも児童に向き合う武内さん

 浪江町の津島小は29日、二本松市の仮校舎で閉校の集いを行った。東京電力福島第1原発事故から10年浪江町の子どもに寄り添ってきた同校教諭の武内弘子さん(56)は「子どもたちからたくさんのことを教えてもらった」。学んだ全てを、新たな赴任先の児童に注ぐつもりだ。

 武内さんは栃木県出身。結婚を機に本県教員となり、相双地区の小学校に勤めた。2011(平成23)年3月の震災発生時は浪江小に勤務していた。請戸小時代の教え子らは津波で犠牲になった。自身も第1原発から約3キロの大熊町に自宅があり避難。栃木の実家などを転々とし翌4月に福島市の借家に落ち着き、同市の鳥川小に勤務した。同年8月から浪江小が二本松市に仮校舎を設けることになり、着任した。

 しかし、校舎には山積みの支援物資に交じり、閉校前の廃棄品もあった。「子どもたちががっかりしない校舎にして迎えよう」。片付けが学校づくりの一歩だった。避難先の学校になじめなかったり、つらい思いを心に抱えて明るく振る舞ったりする子どもたちに向き合いながら、同僚と避難先再開校の在り方を模索。児童の居場所になれる学校や、浪江のことを学ぶ郷土学習「ふるさとなみえ科」などが生まれた。

 その一つが、児童一人一人が主役になれるような指導。友達のいいところを見つけて花の形をした紙に書く「心の花」活動などに取り組んだ。武内さんらがそんな活動を続け、子どもたちは自分の能力を認め、自信を持てるように変わった。

 武内さんは再開校での10年を「今までとは違う経験をし、新しいことをたくさん学べた」と振り返る。実母の介護もあり、10年を区切りに教員を辞めようかとも考えたが、母が昨年4月に亡くなり「途中で辞めるのは育ててくれた母に申し訳ない」と思い直した。

 4月からは、郡山市の守山小で教壇に立つ。児童数は1人から400人に増える。急激な環境の変化に不安もある。でも再開校で学んだ「一人一人をしっかりと見て、その子に合った教え方をするとみんな伸びる」という指導法は揺るぎがない。そして震災と原発事故を経験した教員として「命を大切にしなきゃ駄目だよ」と、子どもたちに伝えようと思っている。

 閉校の集い、思い語る

 閉校の集いには、教職員をはじめ、最後の卒業生となった須藤嘉人君、教育活動を支えた学校を応援する会や協力者らが出席。県外の協力者もオンラインで参加した。

 木村裕之校長が「全国の多くの人に支えられて10年の間、充実した教育活動を展開できたと思う」とあいさつ。須藤君ら参加者一人一人が同校への思いや、児童と交流したエピソードなどを発表した。

 最後に教職員7人がそれぞれ感謝の気持ちを伝えた。津島小は31日で休校となる。