【宇宙飛行士・山崎直子氏インタビュー】 防災担うリーダー育成 放射線に関わる風評被害払拭を

 
「宇宙の様子や、挑戦することの大切さを伝えたい」と話す山崎氏

 広野町に来春開校する中高一貫校・ふたば未来学園高を支援する「ふたばの教育復興応援団」メンバーで宇宙飛行士の山崎直子氏は12日までに、福島民友新聞社の取材に応じ、同校の教育について「中高生が世界中に自らネットワークを作り、世界に発信する防災社会のリーダーになる人材を輩出したい」と述べ、防災や復興の分野で世界的に活躍する人材の育成に意欲を示した。

 山崎氏は2010(平成22)年4月、スペースシャトル・ディスカバリー号で宇宙に向かい、国際宇宙ステーションの組み立て補給ミッションに参加した。この経験を中高一貫校の生徒に伝える授業の実現に意欲を見せ、「実際に行った宇宙の様子や、宇宙に挑戦する日本、世界中の国々の様子、挑戦することの大切さを伝えたい」と話した。

 また、宇宙での15日間に及んだミッションの間、太陽などを発生源とする放射線を受けながら作業に従事したことを明かし、「放射線の種類は違うが、宇宙船の中でも1日で1ミリシーベルトくらい被ばくした。宇宙飛行士にとっても放射線は人ごとではない」と、放射線の影響に直面する県民生活を思いやった。その上で、「放射線に関わる風評被害で福島の子どもたちが(周囲から)避けられるようなことがあるのであれば悲しい。この被害をなくさなければならない」と語り、風評被害を払拭(ふっしょく)するための国民の理解を訴えた。


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 【山崎直子氏インタビュー 聞き手:菅野篤編集局長】

 宇宙飛行士の山崎直子氏は福島民友新聞社のインタビューで、2度目の挑戦で宇宙飛行士候補者に合格、宇宙に飛び立つまでさらに11年の訓練期間を要した経験に触れ、「平たんな道だけが良いわけではない。経験が強さやバネになる。大変な中でも前を向き、挑戦してほしい」と本県の子どもたちにメッセージを送った。

 ―ふたば未来学園高の開校まで残り半年となった。教育復興応援団に参加する意気込みは。
 「震災と原発事故の後、福島県内の学校で宇宙に関する授業などを続けてきた。少しでも前を向こうとする子どもたちの姿を見てきたので、何かをしたいと思っていた。小泉進次郎復興政務官から直々に声を掛けてもらった。中高一貫校は双葉郡8町村の方々が練りに練った復興教育ビジョンに基づくもので、地元の人たちの思いを応援していきたい。大人も子どもも共に学び合う場に関わりたい」

 ―17人の応援団の一人として、ふたば未来学園高にどう関わっていくのか。授業などでやりたいことは何か。
 「試行錯誤、模索段階だが、学校の教育を助ける形でなければならない。新しい学校をつくるときはこれもやりたい、試したいという思いになるが、まず一番大切なこととして、中学、高校の生徒が普通に学校生活を送り、勉強できる環境を整備しなければならない。応援団は何かの科目を担当する形もあり、特別授業、課外授業に協力する形もあるが、普段の学校生活の中で生徒や教諭と直接会話を続けることを何よりも大切にしていきたい。生徒たちが将来を考える上での元気を与えたい」

 ―本県の子どもたちの中には宇宙飛行士を夢見る子どもたちもいる。宇宙飛行士を目指したきっかけは。
 「宇宙が好きになったのは小学生の頃で、恐竜が好き、星が好きといったレベルだったと思う。宇宙飛行士の仕事を知ったのは中学3年生の時で、スペースシャトル・チャレンジャー号の事故があった時だった。テレビ報道には驚いたが、SF映画やアニメだけではなく、本当に宇宙船があり、宇宙飛行士がいることが分かった。事故よりも宇宙開発に頑張っている人たちがいることの方が印象に残っている。宇宙船をつくるエンジニアになりたいという思いから夢は始まった。ただ、宇宙飛行士の募集は不定期で、私が最初に挑戦した95年の時は書類審査で不合格だった。それでも、応募できたことがうれしかった。その後、宇宙航空研究開発機構(JAXA(ジャクサ))に入社し、エンジニアとして茨城県つくば市の筑波宇宙センターで働いていた時に、運良くまた募集があり、2度目の挑戦で合格することができた」

 ―宇宙飛行士になるまでの困難な道のりを、子どもたちにどう伝えていきたいか。
 「宇宙開発の歴史は平たんな道ではなく、計画が変わり、事故があり、挑戦し続けてきた歴史だった。自分自身の訓練の道のりも長く、11年の下積み期間があった。途中でスペースシャトル・コロンビア号の事故があり、その影響で先行きが見えず、訓練もアメリカとロシアを転々とした。11年間の生活は思っていた通りではなかったが、だからこそ、たくましさが身に付き、チームワークの大切さなど学ぶことも多かった。苦労のないことは幸せかもしれないが、人生で考えたときに一番良いことではないかもしれない。困難な道をバネにしながら進んでいくことを伝えたい」

 ―1日に約1ミリシーベルト被ばくするという宇宙空間でミッションに従事した宇宙飛行士から見て、被災地・福島の現状はどのように映るか。国際放射線防護委員会(ICRP)が勧告した一般公衆に対する放射線量限度である年間1ミリシーベルト以下という指標は、どう評価するか。
 「非常に難しく、放射線は宇宙飛行士にも分からない問題だ。どこまで良くて、どこまでが悪いのかという判断基準については、宇宙飛行の歴史はまだ50年であり、データも不十分で、分からないところが多い。私は放射線の専門家ではないので正直分からないが、大人と子どもでは放射線の影響は違うと思う。われわれ宇宙飛行士は(積算の年間被ばく量で)数百ミリシーベルトまで大丈夫といわれている世界だ。ただ、これから始まる宇宙旅行の時代を含めて、子どもは宇宙旅行が認められていない。年間1ミリシーベルトは全国どこにでもあるレベル。目標値といわれる1ミリシーベルト以下が厳しいならば、せめて1桁台は守るべきと思う」

 ―福島の教育、子育て環境は依然として厳しいが、スポーツや文化活動に児童、生徒たちは素晴らしい成績を残している。懸命に前を向く本県の子どもたちにメッセージを。
 「中学生は世界が一番広がる時期だったと思う。高校生はさらに友達など世界が広がる。大学院生でアメリカに留学した時に感じたことは、外に行ったとしても軸足がしっかりしていないと一人前として認めてもらえないということ。留学先で千葉県や歌舞伎のことなどを聞かれたときにうまく話せず、もどかしい思いをした。自分の町を大切にし、そこから世界がだんだん広がっていくのだと思う。原発事故後、取り巻く環境はまだまだ厳しいが、古里に軸足を置き、問題意識を持ちながら世界を広げてほしい」

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 やまざき・なおこ 千葉県松戸市出身。東大大学院航空宇宙工学専攻修士課程修了。1999(平成11)年に宇宙飛行士候補者に選ばれ、2001年に宇宙飛行士認定、10年に国際宇宙ステーションのミッションに参加。内閣府宇宙政策委員、日本宇宙少年団アドバイザーなどを務める。43歳。