【俳優・西田敏行氏インタビュー】 まれな経験を世界に発信 科学者や起業家、君たちなら可能

 
「まれな経験を世界に発信しよう」と子どもたちへの思いを語る西田氏

 来春開校の中高一貫校・ふたば未来学園高を支援する「ふたばの教育復興応援団」では、本県出身者も古里の子どもたちにエールを送る。俳優西田敏行氏(郡山市出身)は2日までの取材に対し「(震災と原発事故で)世界でもまれな経験をした皆さんは『生きるとは何か』など誰よりも考える時間があった。(ノーベル平和賞を受けた)パキスタンのマララさんのように、君たちは世界に発信できる」と力を込めた。

 西田氏は、震災後に復興支援で県内各地を訪れた時に「とんでもないことになった、完膚なきまでにやられた、何をすれば復興になるのだろうか―とまで考えた」と、自身も大きなショックを受けたことを明かした。その上で「その風景を見ながら『自分の親、祖父母の世代は戦後、日本を焼け野原から立ち直らせたんだ』と自分に言い聞かせて、復興支援のモチベーションを保った」と語った。

 NHK大河ドラマ「八重の桜」では会津藩家老・西郷頼母役を演じた。西田氏は胸を押さえながら「普通の精神状態ではなかった」といい、戊辰戦争やいわれなき汚名を着せられた会津藩の苦悩を一身に抱えた西郷と、震災後の本県や県民の姿とが重なり、心が揺さぶられた状況を語った。

 県内の子どもたちに向けては「科学者になりたいなら飛び散った放射線を消すような発明をしてほしいな。文化の面でも良いし、起業家でも良い。君たちならできる。震災で受けた経験に『落とし前』をつけよう」という表現で奮起を促した。

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 【西田敏行氏インタビュー 聞き手:小野広司編集局次長】

 俳優の西田敏行氏は福島民友新聞社のインタビューで「原発事故後は『よくも古里を放射能で汚しやがって』と怒りがあったが、原発立地を受け入れた福島県民としてぶつけどころがなかった。今は『いろいろな立場の人間がお互いに心を許し合い、未来に進むべきではないか』と思っている」と、前向きに生きることの大切さを訴えた。

 ―震災と原発事故の後、西田さんは県内で積極的に支援活動に取り組まれた。活動を通じて見えてきたことは。
 「仮設住宅などで避難を余儀なくされている方と接することが多かった。『もうにっちもさっちもいかねえや』という感じの人もいたが、私が出会った人はともかく復興するぞというモチベーションの高い人が多くて、気持ちの上では安堵(あんど)感があった。ただ、『釣りバカ日誌』などでお世話になった県内のロケ地の自然は本当に美しく、その自然が原発事故に遭ったことは罪が重いぞ―という気持ちがあった。同時に、原発立地を引き受けた人たちへの反目も自分の中に出てきた。しかし、今は、絶対に事故なんて起きないという安全神話を信じざるを得なかった人たちの思いも分かってきた。避難所では、原発立地に賛成だった人も反対だった人も呉越同舟だった。今は反目ではなく、心を許し合うことから始まるのではないか」

 ―震災と原発事故から3年7カ月、「許すことから始まる」時期に来ている、ということか。それが生み出すものは。
 「原発事故前の生活そのものを丸ごと取り戻すことなんてできないわけだから、そこはある種の諦めというか、そういう部分を持って未来に歩みを進めなければいけない。わだかまりを持って歩くよりは、心に一つの吹っ切る気持ちを持って歩くと、当然に歩幅も広くなるだろうし、歩く力も湧いてくるんじゃないかと思う」

 ―ふたば未来学園高は初年度の募集定員も決まり、生徒も保護者も選択のときを迎えつつある。応援団として西田さんは、どのような活動を考えているか。
 「役者という仕事を生業(なりわい)としている以上、自分のいろいろな表現をみんなに見てもらい、感じてもらうことがぼくの唯一できる最大限の応援、支援だと思っている。歌は私にとって前面に出るものではなく、演劇というカテゴリーの中の表現の一つだ。応援団の話は小泉進次郎復興政務官からいただき、『政府の中でも福島復興に積極的で、しっかり福島を見てくださっている』と感じて、心地よく受け入れることができた」

 ―早くから役者を志して演劇の世界に飛び込み、壁に直面したとき、どのように乗り越えて来たのか。その経験の中に県内の子どもたちに送る言葉があるように思うが。
 「演劇にふさわしい才能があるのかと、いつも自問自答していた。負けそうになったり、折れそうになったりしたときは、先輩のすごい舞台や映画を見たりすることで『あっちにいけば間違いない』という思いを強くした。自分の道と同じ道を歩んできた先輩の後ろ姿を見つめつつ、その轍(わだち)というか、トレースを自分の中でも追っ掛けられるように、同じ歩幅で歩いてみる。何事でも最初に持っていた熱い思いを忘れずに、きちんと自分の中で実現していくことが大事だ。生活するために、飯を食うために何とかする―というのではなくて、『そんなことしたら生活はできないよ』と言われるぐらいの大きな夢を持っていい。ぼくは、お金は後からついてくると言ってあげたい。何を言われても夢を捨てないことだ」

 ―中学、高校生の保護者たちは自身が子どものころ、西田さんが演じたドラマ「池中玄太80キロ」の主人公の、型破りで子どもたちには温かい姿にあこがれた世代だ。しかし、大人になると、自分の子どもには、つい安全策を選ぶよう求めたりする。そんな大人たちにもメッセージを。
 「子どもが夢を持って語るとき、大人は『自分の子どもがとんでもないことを言っている』と思うだろう。それで良い。でも、そのときには、きちんと子どもの目を見て話してほしい。メールや手紙で話すのではだめ。子どもの目がきらきらしていて、親の勘で『やれるかもしれない』と思える目だと感じたら、受け止めてあげてください。100個考えて無理だと思っても、101個目に何かあるかもしれないと思ってください。まずは、子どもと同じ夢を持ってみてください。子どもは夢に向かって歩き出すわけだから、親も親なりの努力をしなければいけない。そのときには、子どもと同じ立場で肩を組んで歩くんじゃなくて、親は一歩下がって、子どもの行く末を見てやるということが大事ではないか」

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 にしだ・としゆき 郡山市出身。明大を中退、劇団青年座に2003年まで所属。代表作「釣りバカ日誌」「学校」「植村直己物語」をはじめ映画、舞台、テレビなど幅広く活躍し、受賞歴多数。昨年の大河ドラマ「八重の桜」では西郷頼母役を好演した。66歳。