【詩人・和合亮一氏インタビュー】 震災経験見つめ学ぶ場 子どもの思いや自主的活動尊重

 
「子どもたちが震災経験に共鳴し合える場所を」と提言する和合氏

 被災地ふくしまの現状を詩にして発信してきた詩人和合亮一氏(福島市)は8日までに、来春開校のふたば未来学園高を支援する「ふたばの教育復興応援団」メンバーとして取材に答えた。同校をはじめ県内の教育環境については「子どもたちが震災経験を見つめ合い、学び合い、共鳴し合える場所にしてほしい」と述べ、子どもたちの思いや自主的活動を尊重した教育の在り方を提言した。

 和合氏は震災直後から、県内の子どもたちへの取材を続け、その思いを詩作や講演などを通して、国内外に発信してきた。その取材活動から得た経験について「子どもたちの感じていることは大人と全く同じで、震災を真っ正面から受け止め、向き合ってきた」と指摘。その上で「社会が原発再稼働や東京五輪に向かっても、震災の記憶は大人と一緒で、ふくしまの子どもたちの骨に刻まれている。だからこそ、大人も子どもも共通の立場で、ふくしまのことを考えていかなければならない」と語り、震災と原発事故の風化が心配される現状に警鐘を鳴らした。

 また、広野町に開校するふたば未来学園高や県内の子どもたちを支援する今後の活動については「詩人は閉じこもりがちなイメージがあるが、歴史をひもとくと、詩人こそが歴史の代弁者であり、その役割を果たしてきた。生徒に伝えることの大切さを教えていきたい」と語り、より多くの子どもたちの思いを受け止め、その思いをまとめて震災を学ぶテキストなどにする活動に意欲を見せた。

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 【和合亮一氏インタビュー 聞き手:五阿弥宏安社長・編集主幹】

 詩人の和合亮一氏は福島民友新聞社のインタビューで、県内の子どもたちに一番伝えたい言葉について「福島人としての誇り」と述べた上で、「放射線の影響で緑や水、土などに不安があるとすれば、古里への誇りを失うことがあるかもしれないが、われわれは取り戻す力を持っているんだと誇りを持ってほしい」とエールを送った。

 ―震災、原発事故の直後に被災地から短文投稿サイト「ツイッター」で詩を発信し続けたが、どのような思いだったのか。
 「一番は悔しさ。悲しい気持ちや絶望の気持ちも込み上げた。その時、自分には詩を書くことが残されていた。生徒もツイッターを読んでいて『読んで泣きました』と聞いた。初任地の相馬農高の卒業生からも電話をもらった。父親を亡くした卒業生は『(詩を読んで)自分も負けないと思った』と言ってくれた。『明けない夜は無い』『福島で生きる』などの詩の言葉を、県民が大事にしてくれるようになった。震災前に現代詩を書いていても言われなかった『ありがとう』という言葉を掛けられるようになった。その時、みんなが『言葉の明かり』を探していることに気付いた。互いの心を交換する場所がツイッターだったと思う」

 ―震災から3年8カ月が経過した。原発事故による風評被害がなくならない一方で、深刻化する風化という問題をどう捉えるか。
 「マスコミが取り上げなくなると、それで問題が解決したように思われることが一番恐ろしい。現実の問題はテレビ報道などとは全然違う時空間で起きている。例えば、被災者の孤独死が増加し、今後ますます心配になる。その問題を取り上げ、語り続けることは大変なことだ。取り上げないことが悪いわけではないが、一方通行が風化につながる。県内で暮らす自分たちが外側に期待するのではなく、内側から発信しなければならない。風化は外側に頼っている限り、どんどん進行していく。われわれは内側を見つめ直し、内側から外側に伝えていく機会を試されている」

 ―風評被害をなくし、風化を食い止めるために、われわれは何を、どのように発信しなければならないのか。
 「ふくしまには、ふくしまの伝え方がある。不条理を不条理のまま終わらせず、不条理は不条理だとして闇に葬らない社会について考え、訴えていく。日本はずっと不条理に目をつぶって来てしまったが、そのことが本県の現状につながっていると感じている。トゲが刺さったままでも、ずっとトゲを抜こうとしない考え方ではなくて、そのことを子どもたちに伝えていく大人の後ろ姿が必要。不条理というものを自分の中でいつも文学的命題として書き続けてきた。富岡町や浪江町、双葉町などで暮らしてきた子どもたちは避難を強いられ、全く知らない街で暮らしており、不安や戸惑いという不条理を感じているのではないか。大人の責任は、なぜこんなことが起きたのか、少なくとも言葉としてきちんと説明してあげることが必要だ」

 ―本県は今、「福島」「ふくしま」「フクシマ」と三つの言葉で表される。詩人の視点からこの三つの言葉をどう感じるか。
 「震災後、片仮名のフクシマになった。もともと福島県は穏やかで気候が良く、人が良いというイメージを持たれていたと思う。しかし、急に片仮名のフクシマになり、恐ろしい響きを伴ってしまった。しかもそれが世界に広がる状況になった。外側の人間のイメージが片仮名のフクシマにしたいという状況だったので、われわれの住んでいるのは漢字の『福島』だから、そこにみんなが違和感を感じた。ただ、自分もインタビュー集に片仮名で表記したことがあった。外側からのまなざしを大事にしなければとの思い、今の片仮名のフクシマの現状も受け止めなければいけないという気持ちだった。以前、子どもたちに漢字と平仮名、片仮名の福島はどれが好きかを授業で聞いたことがあった。そうすると、断然多かったのが平仮名の『ふくしま』。理由を尋ねると、平仮名の『ふくしま』は、これからの福島という気がすると答えが続いた。優しい感じがするという答えもあった。外側は片仮名の『フクシマ』で片付けようとする風潮があるが、これから福島で暮らしていく子どもたちの『ふくしま』を大切にしたい。平仮名の『ふくしま』が優しい古里なのだから、その感覚を大事にすべきと思う」

 ―子どもたちにとって優しい「ふくしま」になるためには、福島に住むわれわれ大人は何をすべきか。
 「抽象的だが、ふくしまに住む時間をまず大切にしてもらいたい。今暮らしている時間とでも言うのか。ここで暮らす自分の呼吸、自分の時間、自分の直感、自分の言葉を大切にしてもらいたい。そして、子どもたちと向き合うことを何よりも大事にすべきで、自分たちが感じている直感を、子どもたちにもっと伝える場面が必要なのではないかと思う」

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 わごう・りょういち 福島市出身。福島大大学院修了。県立高校教諭。詩作では1998(平成10)年に第1詩集「AFTER」で第4回中原中也賞を受賞、現代若手詩人の旗手と目される。震災後は被災地からツイッターで「詩の礫」を発表するなど被災者の思いを発信し続けている。みんゆう県民大賞芸術文化賞受賞。46歳。