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避難めぐり夫婦に亀裂 放射能考え方違い、離婚危機発展
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母子避難の長期化で精神的にも経済的にも追い込まれている(写真と本文は関係ありません)
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「離婚を考えたり、夫と再び一緒に住む自信がなくなったりして苦しむ母子避難者から相談を受ける」。南相馬市から兵庫県に避難する鹿山真里(30)は、近畿地方から集まる避難者交流会の世話役をしている。
交流会に参加したいわき市の女性(33)が身の上話を始めた。「離婚して」。女性は昨年8月、自主避難に反対する夫(30)に話を切り出した。「原発事故がなければ離婚なんて考えなかった」
子どもの食べ物心配
女性は原発事故直後の2011(平成23)年4月に長男(2)を出産。いわきでは食べ物が心配だった。長女(4)も目まいなど体調を崩すことが多くなり「避難したい」と思ったが、夫は「県内の他のまちより、いわきは線量が低いし避難先から戻る人もいる」と反対した。
12年の秋、子どもの尿検査で、微量のセシウムが検出された。「遠くの産地の野菜を食べていたのに」。避難するしかないと決め、夫を説得できないまま、いわきを離れた。夫と連絡は取っていたが、昨年の春、音信不通になった。夫はうつ病と診断されていた。「あんたのせいだ」と、夫の両親から責められた。
結局、離婚寸前で夫から「やっぱり離れたくない」と言われ、今は避難先で一緒に暮らしている。夫はいわきの仕事を休んだままで、貯金を切り崩しながらの日々が続いている。
郡山市から、さいたま市に幼い子ども3人を連れて避難する瀬川由希(39)は、避難先の公務員住宅で子どもたちが「お父さん」と叫ぶ姿を何度も見た。「まだ甘えたい年ごろなんだ」
週末ごとさいたまへ
由希は三男が1歳になろうとする12年6月に母子避難。中学教師をしている夫の芳伸(51)は「教え子を守らないと」と郡山に残っている。子どもらが少しでも落ち着けばと、週末ごとにさいたま市に向かう生活がもう1年半になる。
由希も芳伸も事故による放射線の影響を少なくするには避難するしかないという考えで一致している。「夫婦が同じ考えでいられたのが救いです」
避難者を支援する福島大うつくしまふくしま未来支援センター特任准教授の本多環(51)は「避難による経済的な負担や放射線への考えの違いで、家族に亀裂が入る例は多い。行政は一律の支援ではなく、避難者が何に困っているか実態を把握し、社会福祉協議会やNPO法人と連携した支援に方向転換すべきだ」と指摘する。(文中敬称略)
(2014年1月5日 福島民友ニュース)
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( 2014年1月5日付・福島民友新聞掲載 )
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