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「自分だけ浮いてる」 帰還者、情報不足背景に“孤立感”
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福島市で昨年10月に開かれた「ままカフェ」。避難先から戻った親子向けに定期開催されている(東日本大震災中央子ども支援センター福島窓口提供)
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「洗濯物は外に出してんの?」「布団干しは?」「窓開けてんの?」。昨年春、避難先から2年ぶりに郡山市に戻った大内扶欣子(ふきこ)(41)の心の中は、疑問だらけだった。
安易に尋ねられず
原発事故後すぐ、実家のある兵庫県加古川市に母子避難した。「あんたあそこに帰んねんで、あそこに。帰られへんやん」。戻ることを決めた後も、避難先の知人は福島第1原発の現状を伝えるニュースを示しながらそう言った。「『そうかも』と思ってしまう自分がいた。『汚染水漏れ』などの問題ばかり頻繁に報道され、福島の日常生活については想像を膨らませるしかなかった」
戻った当初は放射線への向き合い方が分からない。それでいて、周囲に安易に尋ねることもできなかった。「帰ってきた私に『どうしてんの食べ物』なんて、ずっとここで暮らしている母親は聞かれたくもないだろうと思った」
子どもの入学などを機に本県に戻る自主避難者。離れていたことによる情報不足を背景に不安を強め、自ら壁をつくり孤立する例も多い。「自分だけ浮いてる」。郡山市の安田久美子(33)は東京から戻った昨年春、幼稚園の保護者の間でそう感じた。「私が避難していたことを知る人は少なかった。私が勝手に『溶け込めない』と感じていただけかもしれない」と振り返る。
大内と安田にとっての転機は、帰還した元自主避難者同士の交流の場に参加したこと。「同じ経験を持つ人と話すことで、不安は軽減していった」と大内。2人は他の元自主避難者とともに今月から月1回、同市で交流会を開き、今後帰還する母親の不安に応えていきたいと考えている。
互いに受け止めて
避難経験のある親同士でなければ、思いをさらけ出すのは難しいと感じる人は多い。昨年4月に新潟市から戻った伊達市の渡辺育子(31)は、放射線を話題にすればどうしても考え方の違いが出るため、普段は気軽に口にすべきでないと考える。「あえて話して衝突してもしょうがない。誰も悪くないのに」
福島大人間発達文化学類教授の鈴木庸裕(のぶひろ)(52)=学校福祉=は原発事故発生から3年近くたつことを踏まえ、こう指摘する。「これまでは避難した人、しなかった人が互いの経験を知る機会が乏しかった。戻る親子も増えている今、互いの歩みを真摯(しんし)に受け止める時期に来ていると感じる」(文中敬称略)
(2014年1月8日 福島民友ニュース)
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( 2014年1月8日付・福島民友新聞掲載 )
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