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原発災害・「復興」の影
自ら逃れる
 
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“戻る地”あり良かった 県内に「避難指示」指定広がらず

“戻る地”あり良かった 県内に「避難指示」指定広がらず

事故直後、運行を再開した高速バスは自主避難の住民などで混雑した=2011年3月、郡山市(写真と記事は関係ありません)

 「(ほかの母親が)『水は全部ミネラルウオーターを使っている』などと話すのを聞くと、そこまで気にしなくてもと思う」。2011(平成23)年3月の福島第1原発事故当初、郡山市から群馬県に約2週間避難した草野あゆみ(28)は、放射性物質に対する意識が薄れてきたと感じている。
 
 全員避難と当初予想
 同市に戻ると決めたのは休業した夫悠(29)の会社の再開が決まったから。避難直後は「県内は全員避難の指示が出るのでは」と思っていたが、3月下旬になっても避難指示は広がらなかった。「群馬県も放射性物質が飛散との報道もあり、どこまで逃げても一緒と思った」と、あゆみは言う。
 「福島、郡山も避難となったら大変だな」。区域見直しが水面下で進む同3月下旬から4月にかけ、災害対策本部詰の閣僚の一人がつぶやいた―と当時の政府幹部は証言する。福島、郡山両市は、避難指示区域などを抱える南相馬市よりも空間線量が高い地点が目立っていた。両市に避難指示が出れば都市部の機能がまひし、「今まで以上に危機的になる」という意味だと、この幹部は解釈した。当時、中通りの住民の間では「人口の多い福島や郡山の避難は混乱が大き過ぎて、避難指示は出ない」との見方が強かったが、政府内でも同様の考えがあったことを示すエピソードだ。
 
 政府が指針を見直し
 しかし、官房副長官として避難指示区域の設定に当たった参院議員福山哲郎(51)は「郡山、福島も線量が基準を上回れば、避難をためらうことはなかった」と、この幹部の解釈を否定する。福山らは4月末、20キロ圏外の避難指示を見直し、年間の積算放射線量に基づいて避難指示区域を設けると発表。国際放射線防護委員会(ICRP)が事故継続時の避難の指針として示す年間積算放射線量の最低値20ミリシーベルトを基準に区域を見直した結果、中通り都市部に避難指示区域が設定されることはなかった。
 一方、あゆみは帰還を選択したものの放射性物質の恐怖は帰った後も続いた。「セシウムの影響が気になり、野菜は産地を選ぶようにしている」が、最近は「あまり神経質ではつらくなる。ストレスを感じない程度にと割り切れるようになってきた」とも感じている。悠があゆみの思いを代弁する。「妻は当初、郡山が避難指示区域になれば―と考えていたと思う。でも、避難指示で帰りたくても帰れない人がいると思うと、郡山にいられて良かったと正直思う」(文中敬称略)

(2014年1月9日 福島民友ニュース)



( 2014年1月9日付・福島民友新聞掲載 )
 

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