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時間かかる「風評払拭」 現状をよく知り、伝える努力必要
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福島と水俣の共通点を学んだ鈴木さん。風評払拭には古里のことをよく知ることが大切と思っている
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「水銀は水俣近海だけの汚染。でも放射性物質は海や山など、水俣の何倍もの範囲に広がった」。水俣病による差別や風評被害があった熊本県水俣市で甘夏ミカンを栽培する高倉史朗(62)は福島の現状を心配する。「払拭(ふっしょく)するには水俣より時間がかかるかもしれない」
「水俣産」と避けられ
熊本県は自然が豊かで果樹栽培が盛んなことなど本県と似た地域。1950年代に確認された水俣病は、チッソ水俣工場の排水に含まれたメチル水銀が海に流れ、汚染された魚介類を食べた住民が手足の感覚障害などになった公害病だ。高倉は「感染症と誤解された患者は差別され、海の汚染と関係ない農作物は『水俣産』というだけで避けられた」と振り返る。
高倉がいた患者の支援団体は77年、水俣病家族果樹同志会を設立、漁業ができない患者家庭が低農薬の甘夏ミカン栽培を始めた。高倉は東京で直接、消費者に会い、時間をかけて安全性を伝え続けた。茶、タマネギなどの農家も水俣病の場所だからこそ、無農薬や有機栽培に切り替えた。
改善したのは90年代
「差別や風評がなくなってきたのは90年代に入ってから」と高倉。水俣市は92年、全国初の「環境モデル都市づくり宣言」を行い、ごみ減量や資源リサイクルに取り組む。「それでも子どもが部活の遠征先で『水俣病さわるな』と言われたりする。風評を完全になくすのは難しい」
水俣病の教訓を学ぶ県内中学生による交流事業で昨年12月、水俣市を訪れた福島市の鈴木小春(14)=吾妻中3年=は水俣病資料館を見学したり地元中学生と交流した中で「修学旅行に行った先でバスが避けられた」などの話を聞いた。「50年以上たっているのに、まだあるのか」
一方、鈴木は水俣市の住民が水俣病を学び、環境保全に力を入れていることも知った。福島に戻り、「水俣は怖い」と話す同級生に「今の水俣は環境のまち」と伝えた。鈴木は将来の福島を想像する。「大人になっても風評は残ると思う。そのとき『それは間違っているよ』と言えるように、私たちの世代が放射線や福島のことをもっと理解し、多くの人に伝えないと」(文中敬称略)=「風に惑う」おわり
(2014年4月7日 福島民友ニュース)
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( 2014年4月7日付・福島民友新聞掲載 )
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