2015語り継ぐ戦争 軍に入り激動の半年間 人目忍びメモ託す

 
村上 正透さん 87 (福島市)

軍に入隊した際にもらった寄せ書きを手に「激動の半年間」を振り返る村上さん

 ◆村上 正透さん 87 (福島市)

 「どうすれば生きることができて、何をすれば死んでしまうかを考え続けた『激動の半年間』だった」。福島市泉の村上正透(せいとう)さん(87)は、軍に入った1945(昭和20)年2月から終戦の8月までを鮮明に覚えている。

 自爆攻撃を訓練  

 庭坂村(現福島市)出身で、郡山第1海軍航空隊に配属された。海軍に憧れを抱いていたが、郡山市の基地では爆弾を抱え、ほふく前進で戦車に自爆攻撃をかける訓練に明け暮れた。もはや死への恐怖はなかった。

 6月に転勤命令を受けたが、行き先は告げられず、郡山市の安積永盛駅から列車に乗った。途中、福島駅に10分間ほど停車。いつ死んでしまうか分からない中、両親に自分の転勤を伝えたいと考えた。だが、列車の中は兵隊だらけで不審な行動は取れない。「今福島。北に向かう」と紙に書き、周囲に悟られないよう、自然を装って窓を開けた。「『007』のような隠密行動だった」。ホームの女性職員に「渡してください」と声を掛け、知り合いの名前を告げた。

 「本当に終わった」 

 宮城県多賀城市の基地で終戦を迎え、神奈川県横須賀市の基地で戦後処理の仕事に当たった。全てを終えて福島に帰ろうと、東京駅に向かっていた際、騒ぎが起きた。「世話になったな! 世話になったな!」。ある兵隊が叫びながら、上官を投げ飛ばしていた。戦時中の厳しい扱いへの仕返し。周囲の誰も止めなかった。「軍隊がいかに非人間的な組織だったか。その騒ぎを見た時、『ああ本当に終わったんだな』と実感した」

 自宅に帰った村上さんに、父が言った。「あれ、届いていたぞ」。福島駅で女性に託したメモのことだ。

 軍に見つかれば、処罰されたであろう行為。「あんな時代にも、人と人との信頼関係があった。あの人にお礼が言いたい」。20歳前後の女性が、その時見せた真剣な表情が、今も脳裏に浮かぶ。