アーカイブ 【連載

古関裕而『うた物語』・アーカイブ

今から100年ほど前、福島の信夫の里に、古関裕而(本名・勇治)は誕生しました。古関は、後年、日本を代表する作曲家となりましたが、80歳で亡くなるまで、音楽で人々の心を癒やし続け、激動の昭和史に残る名曲を多数作曲しました。古関は海外で高い評価を得たことが2回ありました。1回目は1929(昭和4)年のイギリスの懸賞曲コンクールでの「竹取物語」等の入選、2回目は64(同39)年の「オリンピック・マーチ」の作曲です。特に「竹取物語」の入選は、日本人として初めて国際コンクールでの入選という歴史的快挙でした。歌は歴史とともにあります。本連載では、古関の生い立ちや名曲誕生のエピソード、その歴史的背景を辿(たど)ってみましょう。斎藤 秀隆(福島東稜高教員)

*敬称略、福島民友新聞にて2009年12月28日付まで掲載