【エールのB面】制作統括・土屋勝裕さん(中) 支え合い『夢実現』

 

 福島市出身の作曲家・古関裕而と妻金子(きんこ)をモデルにしたNHK連続テレビ小説(朝ドラ)「エール」。女性の主人公が多い朝ドラで、今作は6年ぶりに男性が主人公。朝ドラ向きの夫婦―。制作統括の土屋勝裕さん(49)は2人の人生を知り、興味を引かれたという。土屋さんが古関夫妻の魅力や作中で描く夫婦像を語った。

 衝撃の幕開け

 エールの3月30日の初回視聴率は驚異の35.9%(福島地区)を記録し好調なスタートを切った。

 「オープニングの原始時代に驚かれたと思いますが、『人間は昔から音楽と共にある』ということを表現しました。これからも見どころが盛りだくさんです。作中の夫婦像は、もの静かな夫とエネルギッシュな妻という感じでしょうか。福島で生まれた青年が豊橋の女性と出会い、さまざまな困難を乗り越えていく物語です」

 3カ月の文通

 古関夫妻の出会いは1930(昭和5)年1月、裕而が英国の国際作曲コンクールに入賞したとの新聞報道がきっかけだ。愛知県豊橋市に住み、声楽家を夢見る金子が即座にファンレターを出している。

 「古関さんは、昭和の激動の時代に劇的な人生を送っています。人柄は穏やかで音楽を純粋に愛している。そして、古関さんを強烈に支えている妻の金子さんの存在にも興味を引かれました。この夫婦の姿を知って、朝ドラ向きだと"ピン"ときたんです。男性が主人公になるが、ドラマとしておもしろければいいかなと」

 金子がファンレターを出してから文通による遠距離恋愛が始まり、30年6月1日に福島市で祝言を挙げた。約3カ月の文通期間で情熱的な手紙がやりとりされている。このとき裕而20歳、金子18歳だった。

 「文通3カ月で結婚するなんて、当時としてはとても珍しいカップルだったのでしょう。リサーチする中で、金子さんはとても活動的な女性だったと分かりました。レコード会社との契約が解消されそうになった際、金子さんが会社に直談判したくらいです。金子さんがいなければ古関さんの数々のヒット曲は生まれなかったかもしれないですね」

 売れない時期

 結婚後に上京した裕而は30年9月からコロムビアの専属作曲家となった。しばらくヒット曲が出せず、作曲家として苦しい時期を過ごす。初の大ヒット作は入社5年目の35年の歌謡曲「船頭可愛いや」だった。

 「古関さんにはチャレンジ精神がある。専属作曲家になったものの、全く売れなかった時期があり、きっと苦しかったはずです。それでも諦めず頑張り続けた。常に挑戦を続けた人生。『エール』では福島から始まり、結婚を経て、戦前・戦中・戦後にまたがる作曲家の人生を描く。古関さんの実話を拾うだけでもエピソードには事欠かないんです」

 裕而は結婚前に金子に送った手紙に「私の歌曲はあなたによって初めて光あるものと信じます」と記した。戦後も裕而は金子のためにオペラを作曲するなど愛に満ちた生涯だった。

 「古関夫妻は手を取り合いながら、それぞれの夢も追い求めています。現代の夫婦像にも通じるものがある。2人が生きた昭和は戦争という悲劇がありました。作中で2人はくじけそうになりながらも、必死に夢を実現しようと励まし合って生きていく。皆さんに『エール』となって届くことを願っています」

 【もっと知りたい】志村けんさんのための役

 「エール」の放送が始まった3月30日、日本中に衝撃が走った。新型コロナウイルス感染症によってタレントの志村けんさん(70)が急逝したからだ。

 志村さんは大物作曲家役としてエールに出演予定で、昨年12月から数回の収録に参加していた。志村さんにとって初めての本格的なドラマ出演が遺作となった。NHKは30日、志村さんの収録シーンはそのまま放送すると発表した。初登場は5月1日の予定。

 志村さんの役「作曲家・小山田耕三」は、童謡「赤とんぼ」で知られる作曲家・音楽指導者の山田耕筰がモデル。作中では主人公・古山裕一(窪田正孝さん)の憧れの存在だ。史実では、裕而がコロムビアの専属作曲家になるのは、山田の推薦を得たためとされる。

 制作統括の土屋勝裕さんは「いつまでも挑戦し続ける志村さんの姿に出演者・スタッフがエールをもらいました」と感謝。「日本音楽界の重鎮という役は、まさに日本のお笑い界の重鎮という志村さんにふさわしい役。最後まで演じていただくことを現場一同、望んでおりました」と悼んだ。