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地の利にかなった素材
瓦屋根はそれ自体で相当の重量を有する。その上に積雪荷重が加わった場合を考えると、屋根組みにはよほどの構造強化が必要だ。何より瓦は凍害に弱く、その意味で慧日寺金堂が植物質の屋根であったことは、むしろ地の利にかなっていたといえよう。
板葺(ぶ)き屋根の材料には、スギ・サワラ・ヒノキ・クリなど、木の目がよく通っていて割裂(かつれつ)性があり、なおかつ耐水性に富んだ木が用いられた。天然林の分布から見て、東北地方ではスギ、信州や飛騨ではサワラ、出雲などではクリが主に原材とされたようだ。今回の「栩葺(とちぶ)き」による復元にあたっては、水はじきをよくするため、油分を多く含む赤杉材を調達し、長さ1尺3寸、厚さ五分の栩板(とちいた)を約2万枚を拵(こしら)えた。一般に、これらの板材はすべて手割り板である。機械で挽(ひ)いた板は、表面が滑らかで見た目は美しい。
一方、手割り板は厚さも表面も均一ではなく、一見無骨である。しかし、挽き材の場合は板同士が密着し、毛細管現象によりかえって雨水を吸い上げてしまう。これに対し、手割り板の場合は適度の隙(すき)間がスムーズに雨水を流し、空気の層ができて乾燥も早いという。手割り板の利点はまさにそこにある。
では、実際にこの板はどう作るのか。まず、原木の外皮を荒く面取りし、約40センチほどの輪切りにしていく。この作業を「玉伐(たまど)り」と呼ぶ。栩板を作るには特に油分の多い心材を使用するので、周囲の辺材は割り割いてしまうそうだ。次に、この材を柾目(まさめ)板(いた)が採りやすいように大割(おおわり)包丁(ぼうちょう)で6ないし8個に切り分ける。これをミカン割りという。さらにこの分割材を、板割り包丁を使って厚板状に小分けし、そこから2寸・1寸というように何度も割いていって最終的に厚さ5分(約1.5センチ)程の栩板にしていくのである。仕上げには、この割板をセン削りで下側が厚い台形に整える。これによって、重ねたときの厚さ調整にもなり、葺上げの美しいラインが生まれるそうだ。ただし、板が厚い分柿(こけら)板のように曲げがきかず、隅の収めには特に苦労するという。が、そこがまた職人の腕の見せ所でもある。
ところで、こうした板葺き屋根の耐久年数は、30―50年といわれている。建造物本体の修理期間と比べれば圧倒的に短いが、それがかえって若い職人が育つ土壌を生み出す結果にもなっている。
しかし、葺き材に用いる秀材の手配は年々困難となってきた。前回触れた信州善光寺では、40年の周期で葺き替えが行われているが、約17万枚にも上る栩板材に必要な良材の手配には苦労したそうだ。人工林のサワラ材では目が粗いため、老朽化が早かったり、破損して雨漏りの危険性があって、何のために栩葺き屋根に復元したのか分からない。そこで今回は、特別に木曾の国有林から天然サワラ材が調達されたと聞く。
今春、文化庁ではこうした文化財建造物の修理継承の必要性から、木材や檜皮(ひわだ)・茅(かや)・漆など、資材の確保と技能者の育成を図る目的で、モデル供給林および研修林として全国8カ所に「ふるさと文化財の森」を設定した。県内では下郷町の大内宿茅場が選ばれているほか、5カ所は檜皮の継承地である。屋根材の確保・技法の継承が、歴史的建造物の保存にとっていかに急務であるかを物語っている。建造物本体のみならず、資材確保を含めた森林環境の保全育成も、文化財保護にとって今後大きな課題となっていくはずだ。
現在、磐梯山慧日寺資料館では金堂復元整備の記念として、屋根板の記銘を受け付けている。葺き上げが始まる7月ごろまで随時実施しているので、この機会に是非一筆書き記してはいかがであろう。次の葺き替えまでどのような状態で残るか、実験も兼ねた試みである。
(磐梯山慧日寺資料館学芸員)
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白岩賢一郎
【 7 】
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玉伐りした杉材をミカン割りにする |
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厚板を小割りして栩板をつくる |
【2007年5月23日付】
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